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もう、食を学ぶことが娯楽に近いのかもしれないや。

世の中に「食を学ぶこと」のおもしろさを伝えたい。

これはフードスコーレをやってきて、つくづく思うこと。

「食を学ぶこと」の何がおもしろいのか。人によってそのおもしろさは違うのだろうけど、俺が本当に「おもしれーなー」って思うのは、知らなかったことに触れたとき。

たとえば、農園部の畑でミニトマトそっくりなじゃがいもの実を見たとき(見たことないひとは、ググって見てみて!)。

かつお節には大きい節と小さい節があって、人間と同じで脂が乗っている節もあれば、痩せている節もあって、そうした魚の個体差があることと合わせて火の入り方やカビをつける環境など、たくさんのことが要因となってかつお節の出来が変わるんだ、ということ(「かつお節タイコウ」の大塚麻衣子さんから聞いた)。

レシピを起こすとき昔は6人前がデフォルトだったけど、それがいつしか4人前になって、いまは2人前が主流だということ(これは料理研究家の樋口直哉さんに教えてもらった)。

夫婦はそれぞれが「自分が6割、相手が4割」の割合で家事をやっていると思っていること(これはスープ作家の有賀薫とのイベントに参加された方が話していた)。

あげたらキリがないけど、食にまつわる俺が知らなかったことを、これまでたくさん人から教えてもらったり、自分で発見してきたりした。

これが人生で何の役に立つのかはわからないし、そもそも生きていくのに役に立つからとか、仕事で活きるスキルだとか、そういうことを望んでいるわけじゃない。

ただ、知ることがおもしろいのだ。これを知的好奇心とでもいうのだろうか。

役に立つことは望んでいないと書いたけど、それでも学んだことが役に立つことはある。

ただ「役に立つから」を学ぶ目的にはしたくない自分がいる。法政大学の長岡健先生が話してくれた「アンラーニング論」に通じるものがある。

目的達成のための知識・スキルを効率的に習得すること=学習

このように、学びを手段にする見方ではなくて、生きながら学ぶことの意義を探求し続ける。こっちの方が自分にはしっくりくるんだよなー。

そういう学びをするためには、ここでも長岡先生の言う「越境」がわかりやすくて、とくに興味があるわけじゃないテーマの話を聞いたり、仕事と関係ない活動に参加したり、ちがう価値観をもつ人と出会ったり、あえて自分を不安定な状態に置きながら、自分の中の「正しさ」を揺さぶっていく。

とにかく学びのプロセスを踏むことが、おもしろくてしょうがない。

もう、学ぶことが娯楽に近いのかもしれない。


一方で、何でもかんでも知ろうとしても、それはできないことを知っている(ん?)。

いくら知らないこと、おもしろそうなことがたくさんあっても、それらをすべて知るには、時間が圧倒的に足りない。

つまり、ひとりの人間が知れることには限りがあるんだということ。いくらインターネットのチカラを借りても限られてるよ。

フードスコーレを構想したとき、はじめは「食のあらゆることを知りたい」と自分自身が思っていた。

でもそれは到底無理だと言うことに早々に気がついて、自分ひとりですべてを知るのではなくて、興味のあることだけに絞って知ることができればいいやと、考え方を変えた。

「それ」を自分はあまり興味を持てないから学ばないけど、「それ」に興味をもって学んだ人から、さらっと教えてもらえればいいや。

そのくらいの軽い気持ちで、「食」を捉えることにした。

自動車の構造について専門的なことはわからないけど、エンジンかけて、アクセル踏めば走るんだということだけを知っていればいいや、という感覚に近い。

自動車のことは、もう専門家にお任せします! 俺は専門家を信用して、ただ車に乗っかります!


自動車よりも「食」に興味のある俺は、同じように「食」に興味のある人たちに呼びかけて、一緒に学び合えたらと思っている。

学び合いには、たくさんの人に参加してほしい。そこで、考え方の交換なんかを通して、これまで自分が「正しい」と思っていたことをアップデートできるくらいの体験ができたら本当に嬉しいし、そこまで行かない場合でも、同じ嗜好の人たちとただおしゃべりする時間は、絶対におもしろい。

学びは、スキルアップとか人生を豊かにするためってのもあるんだろうけど、だれかと一緒に生きるためにあるんだろうなと、最近考えるようになった。

世の中のこと全部を学ぶ必要はない。自分の興味あることだけでいい。そうして学んだことを、活かす人がいて、それに乗っかる人がいる。それでいい。

だから「食」に興味のある人は、フードスコーレで一緒に学びましょう。そして知ったことを周りにどんどんシェアしましょう。

お待ちしてまーす。


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