明確化と曖昧さ
物事って確定して、固定化すると中々変化させるのが難しいです。
例えば異動した部署の仕事が苦手ですと。
4月だからそういう話ってありますよね。
「この部署の仕事は苦手」と 自分の中で固定してしまう。そうするとどんどん会社に行くのが嫌になります。
会社に行くのが嫌になると、今度は体に影響が出てきます。それが続いていくと、「会社が嫌い」と固定化していきます。
こうなると中々問題は動かない。
そんな時は、何が嫌なのかを明確化すると良いです。
仕事の何が嫌なのか。
例えば、「今度は計算する部署に移ったのでそれが嫌。私数字が苦手でと。」大体の人はここで終わってしまいます。
でもさらに明確化するのです。
計算の何が嫌なのか?
機材を扱えないことなのか?
スピードが遅いことなのか?
計算方法が分からないことなのか?
「計算が嫌」の中にも色々あります。
例えば機材を扱えないことが嫌なんだとしたら、何の機材が扱えないのが嫌なのか。
電卓なのか。
エクセルなのか。
エクセルだったらエクセルの何が扱えないのか。
マクロなのか式なのか。
最低この辺まで明確化していくとようやく対処方法が見つかり始めます。
例えばエクセルを扱わない時間は苦痛ではないのかもとかね。
「何となくざっくり全体的に嫌」だと、固定化されるものも大きくなっていきます。そうなると扱えないんですよね。問題が大きすぎて。
エクセルのマクロを使う時だけ分からないから嫌だったら、そこにだけアプローチすれば良いのかもしれないですしね。
そうすると「仕事が嫌なわけじゃなかったかも」と固定化されていた部分が曖昧になっていくんですよ。
曖昧になっていくと、変化を起こしやすくなっていくんですよね。
これは人も同じです。
「あの人のことが苦手」
どこが?
「威圧的な態度をしてくるから」
多くの人は大体この辺でざっくり終わってしまう。
明確化していく作業をしていくと、「昔いた先輩を思い出すから」とか、過去あった人に重ねているパターンもあるかもしれない。
どんどん、自分に質問して明確化していく。
そうすると、その人のどういう所が嫌で、どういうシチュエーションの時にその気持ちが発動してと細かく分類できるようになってくる。
もしかしたら四六時中嫌なわけじゃないかもしれない。
良い一面もあったかもしれない。
認識がざっくりしていると、細かい部分は見えなくなってしまって、扱えなくなる。問題を明確化することで扱いやすくするんですね。
春ですし、花が咲いていることも気づかないような精神状態にならないようにしたいですね。
今日はここまで
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