私がリモートワーカーになった理由(ワケ)
最近、働き方や仕事、それに関する多様性について話を聞くことが多い。
いま、フリーランスやリモートワークが熱いのだろうか。
私は目指してこうなったというよりは 流れ着いた という方が正しい気がする。それでも確かにリモートワークを意識した瞬間はあったので、それを思い出した。
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私がリモートワーカーになった理由(ワケ)
それはもう 4 年くらい前の話。
当時、お付き合いをしていた人は、今時では珍しく(?)結婚願望をはっきりと持っている人で、「25 才までには結婚をしたい」と言われた。
当時その人は 24 才だった。
その時の私は、仕事最優先、生活に精一杯だったので、結婚について具体的にイメージができなかった。正直に「今は結婚について考えられないから、私はあなたの欲しい返事をできるか分からない」と答えた。
それに対して「少しずつ考えてくれたらいいよ」「1 年くらい付き合って考えてみてよ」というものだった。
というのが当時の正直な感想だった。
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そんなこんなでその人は地元にも遊びに来て、家族にも会い。
生活も一緒にするようになった頃。
「足が痛い」と言い出した。
日常生活にも支障が出始め、病院を転々とし、行き着いた大学病院で言われたのは「リウマチですね。」という言葉。
その時はその程度の知識だった。
目の前でどんどん状態が悪くなる中。
医療費も高額で、その人は通勤もままならなくなった。
私は当時、フリーランスで撮影のアシスタントをしていたので、時間は不規則。日当制。朝から夜遅くまでの日もあるし、働かないとお金は入ってこない。逆に働けば働いた分だけ入ってくる、というような生活だった。
上京した同士の 20 代前半の給与は、高額な医療費も含めて、2 人であわせてようやく生活できるくらいだった。
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そんな中でもあまり喧嘩をすることがなかったのは、その人が穏やかで芯のある人だったからだと思う。
動かない身体、思い通りにいかないことに悔しい思いもしただろうけど、自分の自由について諦めたり、言い訳をする人ではなかった、と今では思う。
ただ、当時、22 才の私はその生活を受け止められなかった。
仕事のこと、家のこと、お金のこと、自分に使える時間がないこと。
目の前のことで精一杯で何が大切なのか、自分が何をしたいのか。
忙殺されて、心が疲れていた。
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1 年が経ち、「そろそろ言われていた期間が経つけど、どう考えてる?」と聞くと、「今は無理。結婚について今は考えられない」と言われた。
薬が効いて歩けるようになっていた頃、高額医療費の申請もできるくらいになっていた。
そこで私たちはお別れをした。
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その人は、病気になる前から副業としてブログで稼ぎながら、在宅でも仕事ができるスタイルを持っていた。
その姿をみて、私は仕事の仕方について考えるようになった。
大好きな写真の仕事は、一人で生活するにはとても楽しい。
いろんなものを見れるし、仕事を通じていろんなことを知れる。
でも、どうしても仕事最優先になってしまう。
私の母も和裁士として自宅でずっとお仕事をしていた。
小さな頃、熱が出ても母がいたのはとても安心したし、家に帰るといつも温かいご飯があった。
私はそういうことを大切にしたいのかもしれない、と思い、転職を考え、入社を希望したのが 前会社の nD inc. だった。
今は鳥取を拠点に中国・四国・近畿で撮影やウェブサイトのお仕事を中心にフリーランスで生活している。
これから、自分がどういう仕事をしていくのか、どういうスタイルになっていくのかは分からないけど、大切な人といる時間を優先できるようにしたいと思う。
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編集後記
記事のタイトルは漫画「 ボクが泥棒になった理由(ワケ) 」から。
姉の影響で、小学生の頃に読んだ大好きな漫画。
オマセで賢くてしっかり者の龍三郎が、美人でわがままなママの為に泥棒になるお話。
hiragi ayako | @____hrg
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