「実験」と言えば何でも出来る
クリエイターが恐れているのは失敗です。チャレンジして失敗するとクリエイターとしてのプライドに傷がつくからです。
アートディレクターに「ダサい」と言えば、膝から崩れ落ちて1ヶ月は寝込んでスムージーしか食べられなくなります。映画監督に「面白くない」と言えば、3年ぐらい山に籠もって15kg太ってしまいます。カメラマンに「普通ですね」と言えば、持っているレンズを全部メルカリで売ってタイミーに登録してしまいます。作曲家に「パクリっぽいですね」と言えば、購入した音源をすべて初期化してインドに行ってしまいます。比喩です。
そのぐらいクリエイターはデリケートで、プライドに傷がつくと再起に時間がかかるか、あるいは再起不能になるのです。
「初めて映画を作ってカンヌ映画祭にエントリーしたけど、選ばれなかったのがショックでもう映画を撮るのをやめます。」という言葉も聞いたことがあります。実話です。クリエイターというのは薄張りのグラスなのです。ちょっと力を入れたら割れるのです。そのぐらい面倒くさい人たちなのです。
いやしかし!
そんな人たちは「実験」というワードを上手く使っていけばいいのです。「実験として映画を作ってみる」とか「実験としてカンヌ映画祭に出してみる」とか「実験としていま流行りの撮り方で撮ってみる」とか「実験としてちょっとダサいデザインにしてみる」などなど。
実験と言ってしまえば、失敗しても傷が浅く済みます。「本気じゃないからね」という保険が効くからです。そして、この保険は対外的な見え方にも使えますし、自分の心に対する保険にもなるのです。
「いちいち保険効かせて面倒くせえヤツらだな」と思われるかも知れませんが、冒頭で触れたようにクリエイターはあるひと言で憤死してしまう人たちなのです。「ナメクジに塩」と同じです。ほぼ化学的な法則なのです。
いやしかし!(2回目)
実験という言葉で保険を効かせることで、前向きに生きていけるとするならば、積極的に使っていけばいいと思うんです。逆に言えば、保険が効かせられないからチャレンジすることに躊躇してしまうんです。
対外的な見え方で言うと、若いクリエイターは才能がないと思われるのが怖くてチャレンジに躊躇しますし、ベテランクリエイターは今まで培ってきた評価を落としたくないのでチャレンジしないのです。
でも、実験と言うことで対外的にも保険が効きます。若いクリエイターだったら実験という言葉に勢いのあるチャレンジ精神を感じますし、ベテランクリエイターだったら歳をとってもチャレンジ精神を失わない若々しいイメージになります。
さらに言うならば、実験という言葉は自分をも守ってくれます。失敗しても「実験だったから」のひと言で片付けられるからです。「あれは本気じゃなかった」「これは自分の実力ではない」「検証できてよかった」と自分をも煙に巻くことができるのです。
こんな魔法のワードは他に思い浮かびません。
私はいまだに実験というワードを使いまくっています。実験というワードのすごいところは、いくら使ってもすり減らないところです。一方で「チャレンジ」という言葉は回数制限があります。
ベテランクリエイターが「もう一度チャレンジしてみる」と言うと、「もう無理だからやめとけ」と脊髄反射されてしまう可能性があります。「いつまでチャレンジしてないで結果出せ」と思われてしまうのです。
でも、実験であれば話は変わります。実験は「あくまでも」実験なのです。実験のズルいところは、「結果を出すためにやってない」という大義名分があるところです。実験というワードの真骨頂はこれです。これが保険になるのです。
だから実験というワードを使って、次々といろいろな事に参入していけばいいんです。なぜなら、やっていることはすべて実験であり、結果を出すためにやっている訳ではないからです。あ〜!気が楽!
実験という言葉を信じ切ってどこまで出来るか?
私自身で想像してみると、顔出しのYouTuberになって「今回は緊急で動画回してます。フジテレビの件で私の考えを話してみたいと思います。」ぐらいの事を言える気がします。だって、実験ですから。
実験というワードは、我々クリエイターの不安や恐れを強烈に弱めてくれるものなんです。ベンゾジアゼピン系の精神安定剤よりも数倍強力なのです。単なる言葉なのにです。
一方で、回数制限のない実験というワードは、強烈な保険が効く変わりに強い副作用もあります。
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