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穏やかさはオプションじゃない

私はよく人から「平林さんはいつも穏やかですね。声を張り上げたり、怒鳴り散らしたりすることあるんですか?」と聞かれることが多いです。そんな時は私は「怒鳴ったりすることは殆ど無いですね。」と返します。

すると「イラっとしないって凄いですよね。私なんかすぐにキレちゃって。」などと言われますが、それはちょっと観点がズレています。私は「声を張り上げたり怒鳴ったり」はしませんが、「イラッとしたりキレたり」はします。

「腹が立った結果怒鳴る」人もいるでしょうが、私は「腹が立ったけど怒鳴らない」人なんです。

元々、人を上から目線で糾弾できるような強さを持っていないので、「監督」という、怒鳴ることに擬似的な正当性を与えられている職業に付きながらも、怒鳴り散らしたことはありませんでした。それは私の良さでもあり弱さでもあったのですが、結果的に怒鳴り散らして来なくて良かったなと、胸をなでおろす事も多いです。

私は心の中では、すぐにイラッとしたり、キレたりしますが、2秒ぐらいでそれらの感情は分解されて無くなります。人間はイラッとした瞬間に何らかのホルモンがビュッと放出されて、血圧や脈拍が上がったりの戦闘態勢に入るんだと思いますが、私はそのホルモンがすぐに分解されている気がします。

肝臓が分解してるのか、血液中の何かが分解しているのか、そもそもビュッと放出されている怒りのホルモンの濃度が低いのか少ないのかわかりませんが、怒りが収まるスピードが早いです。

そして、私自身は、イラッとしたり、キレたりすると言ってますが、もしかしたら、他の人に比べたらその頻度が少ないのかも知れません。そういう意味では、怒りの少ない性格に生まれてきて良かったなと思います。

そんな「穏やかさ」ですが、「穏やかさ」こそ、技術や才能を磨くのと同等かそれ以上に、努力して自覚的に磨いた方がいいんじゃないかと思います。

私は仕事をしていて、私の穏やかさに喜んでもらうことがよくあります。「平林さんが穏やかだから良かった」「こんな穏やかな監督なかなかいないです」などなど。

ですが、まだまだ「穏やかさ」はオプションなんですね。仕事をしっかりやってくれる人に、たまたま「穏やかさ」がオマケとして付いてきた。監督が穏やかで運が良かった。その程度の認識です。

一方で、制作会社に無理を言って、プロデューサーを泣かせて、予算オーバーでもクオリティの高い仕事をする監督の方が、評価が高いです。制作部を地獄のそこまで追い詰める最低な人間でも、「才能」への評価は揺るぎないものです。「穏やかさ」など必要とされてません。

鬼畜のような最低な監督でも才能があるならば、その鬼畜を称賛し、尊重しなければならない、という環境は、私たちの先輩方がガッチリ作ってきてしまったものですし、いまだに私たち自身の中にも少なからず存在している価値観です。

広告業界や映画業界からも、たくさんの伝説が聞こえてきます。あの監督は餓鬼みたいな最低な人間なんだけど、作るものが素晴らしいし、ヒットする。あのデザイナーは人が死んでも何とも思わないぐらいこだわりが強いけれども、アウトプットが素晴らしいし、さすが天才だと思う。などなど。

そんな事を言っている私の心の中にも「才能差別」という、強烈な差別意識があります。才能がある人には甘いんです。多少社会性が無くても許してしまうんです。

世の中にはいろんな差別があって、今はものすごい勢いでその差別が是正される動きがありますが、「才能差別」が議題に上がることは無いでしょう。

でも、才能差別を議題に上げたら面白い議論になる気はしますが、社会が成り立っている根本的な意識の問題になってくるので、結論は出ないでしょうし、「オレの方が面白い」「オマエのはつまらない」みたいな、小学生のケンカになってしまいそうです。

話がそれましたが、本来「穏やかさ」は、オプションではなく、メインの商品なんだと思うんです。穏やかであるという前提があって、あの人はアレが得意、あの人はアレが出来る、みたい時代が来るといいなと思います。

私はこれは本気で思っている事なんですが、「穏やかさ」という前提無しで「反戦」は無いと思います。「反戦」を訴えるのに、誰かを怒鳴りつけたり、SNSで人格否定するのは、戦争そのものです。

誰かを怒鳴りつけてでも、傷つけてでも、殺してでも戦争を防がなければならない、と言うのでは「正義の戦争」を正当化してしまいます。

「戦争」そのものに正義も不正義もなく、ひとりひとりが怒りをコントロールするしかないと思います。でもこれは本当に難しい事です。私には出来る気がしませんが「そういう意識に近づきたい」と、常々思っています。

だってもし、私の子供が誰かに殺されたら、私は犯人を殺しに行くでしょう。私の子供が乗った船がどこかの国の攻撃で沈められたら、すぐに反撃しろと思うでしょう。徹底的に叩き潰せと叫ぶでしょう。戦争はそういうレベルで、人を感情的に突き動かしてしまうものですから。

そして、戦争をしたい権力者は、人々が感情で動くことを知っています。

すみません。またまた話がそれてしまいましたが、「穏やかさ」というのは、ものすごく貴重なもので、ひとりひとりが穏やかになる努力をして、身につけ、磨いていく社会になれば、もっと平和で素敵な社会になるんじゃないかと思っているんです。そして、穏やかになるのは、自分を律する自分との戦いなんだと思います。

そんな私は、7月の衆参同日選に立候補します。なんでだよ!

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