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顔芸はドメスティックな手法

日本の短編映画の多くは、顔での感情表現が大げさ過ぎる気がします。そこがヨーロッパなどの短編映画との大きな違いだと思います。日本の俳優は顔芸で感情を伝えるように訓練されているのか知りませんが、顔に頼りすぎている気がするのです。

恐らく世界基準で見ると、顔芸が入ってくる映画はB級でもなくC級であると認識されます。顔芸というのはある意味でサボっているからです。ナレーションやテロップが入っているのと同じとも言えます。

構成の積み上げで、例えば、無表情なのに激怒しているように見える様なことが大事なんだと思いますが、「コノヤローっ!」と言って激怒した顔を見せたらC級になるのです。北野武監督のコノヤローが怖いのは無表情に見えるからです。

短編映画は若者が作ることが多いので、短絡的に顔芸に頼ってしまうのかも知れませんが、アートとしての短編映画を作っていると思われたかったら顔芸は封印した方がいいです。

むしろ、ストーリーはものすごく激しいのに登場人物を全員無表情にするぐらいがいいと思います。棒読みもいいと思います。そういう感覚です。分かる人には分かると思います。

そして、その感覚が分からないと、いつまでも安っぽい作品を作り続けることになります。安っぽい作品を作り続けると、いつまでも海外の映画祭には選ばれません。短編映画は永遠のアマチュアなので、映画祭に選ばれないと存在価値が無いのです。草野球のチームが練習だけして試合に出ないようなものです。

短編映画の世界大会は軟式野球の世界大会なんです。メジャーリーグのようにニュースにもなりませんしお金にもなりません。素敵な言い方をするならば、短編映画はオリンピックの種目なんです。感覚的には射撃とか馬術とかその辺りの種目です。でも、金メダルを獲ったらニュースになります。短編映画作家はそこを目指すべきなのです。いや、「短編映画作家」なるものが世界に何人いるか知りませんが。

私は何人いるかわからないうちの1人という自覚はあります。自虐も含めて。

もちろん草野球の練習の後の飲み会が楽しい活動であれば、金メダルを目指さなくていいんです。でも「世界よ!オレの射撃を見てくれ!知ってくれ!」という志があるんだったら、安っぽい作品を作っていてはダメなのです。だから、顔芸を封印するのです。

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