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【じーじは見た!】後編:Σ(シグマ)プロジェクトってご存知ですか?

心はZ世代! 身体は還暦過ぎた昭和人! Z世代応援団のじーじです⁉️

1985年に経産省(当時は通産省、以下は経産省という)肝煎りの国家プロジェクト「Σ(シグマ)プロジェクト」が始まりました。

5年で250億円の予算を使ったΣプロジェクトを振り返っています。

本編は後編です。前編から読んでいただけると嬉しいです。

4️⃣ TRON論文の方が優秀だったかな?

経産省肝煎りのΣプロジェクトとは別に当時東大の情報科学科の助手だった坂村健さんが提唱していたTRONプロジェクトがありました。

1987年に発表した論文『The TRON Project』は、学術的にかなり先行した構想になりました。

下記記事👇の中でTRONを紹介しているので、日本の誇り「TRON」を少し読んで知っていただけると嬉しいです。

タラればですが、ΣプロジェクトではなくてTRONを日本政府が全面的に支援して業界もこれを世界のデファクトスタンダードにするんだと協力できていたら、どんなインターネット時代になっていたんでしょうかねえ?

でもやっぱり、そんなタラレバは考えるだけ無駄ですね。

そんなことにはなるハズもなく、標準化・全体最適の重要性は、今になってようやく、少しずつ日本でも理解されるようになってきましたが、当時は、誰も坂村さんを担いで起業させようなんて考えなかったでしょうからね😥

TRONは、早くから成果物をOPENソースにしてきたことで、例えば任天堂が2017年に発売したゲーム機「Nintendo Switch」のコントローラー「Joy-Con」にμITRON4.0が採用されていたり、多くの炊飯器・洗濯機・カメラ・ゲーム機などと言った日本メーカーの家電製品に搭載されたマイコンを制御するOSとして今でも使われ、世界中で広く使われているのです。

何とも誇らしい世界標準になったTRONなのです。

5️⃣ Σプロジェクトの総括って?

一方、Σプロジェクトの方は、世界に警戒すらされませんでした。Wikipediaでは、次のように最後を締めくくっています。

日経コンピュータ誌は「Σ計画の主題であるソフトの生産性向上が望まれているのが事務分野だが、この分野のツールの評価が非常に低い」と報じ、例として「ツール同士のユーザー・インターフェースがバラバラ」(日本ユニシス)などの意見を掲載。また、1987年度版Σツールを評価したアンダーセン・コンサルティング(現 アクセンチュア)は「Σツールがカバーする範囲はI/O設計、データ分析の一部、コード生成、プロジェクト管理の4項目」であり「業務分析や機能構造化といった上流工程、テスト支援や成果物管理のような工程はカバーしていない」と報告した。国家プロジェクトとしてのΣ計画が終結した1990年4月1日に、コンピューターメーカーやソフト会社50社が、資本金22億3000万円を出資して事業会社「シグマシステム」を設立している。1991年3月にUNIXの国際標準化団体であるX/Open、 UNIX International (UI)、Open Software Foundation (OSF) との共通仕様に合意して独自路線を放棄しグローバル化へと舵を切った。しかし、1992年3月に事業の進展が見込めないまま中枢である計算機センターの閉鎖が決定され、1995年に会社本体も解散した。

Wikipediaの「Σプロジェクト」より引用

UNIXというどこか特定のメーカーに縛られないOSを基盤に据えて、世界と共通の土俵に立ったのであれば「みんなで力を合わせて共通のプラットフォームを作ろうぜ」と一体感をもって、お上が計算機センターを閉鎖しようが、50社が協力して「デファクトスタンダードとしてΣプロジェクトを米国に認めさせようぜ」と標準化・全体最適に向かえば日本はどうなっていたのか?…やめます、タラレバは。

ちなみにΣツールがカバーできていなかったプロジェクト管理にもPMBOK(ピンボック)という世界標準ができています。

※PMBOKガイドは、TRON論文と同じ1987年に米国PM学会によってホワイトペーパーが出されており、米国は学会を中心に標準化が進められていきました。

6️⃣ 私たちが反省すべきことは?

Wikipediaの説明文を引用して、日本人や日本社会の弱い部分を反省してみたいと思います。

Σプロジェクトの構想は一見合理的に見えたが、ソフトウェア工学の科学的進化と変遷といった要素が排除されているものだった。同時期の欧米のソフトウェア工学は日進月歩であり、90年代には世界を席巻している。

Wikipediaの「Σプロジェクト」より引用

つまり、欧米は、属人的手柄話や寝ずに頑張った長時間労働を美化することではなく、成果を学問的に科学するのが得意なのです。

トヨタカンバン方式がトヨタの属人的・部分最適には見事に適用し、個社の競争力と下請け構造の発展には寄与しましたが、米国はリーン生産方式として全ての会社に適用できる標準化を科学として極めました。

ソフトウェア開発の進化を目的にしながら、開発のための技術研究は問題にされておらず、専門的なプログラム理論も蚊帳の外であった。ソフトウェア技術よりも、ハードウェア機器導入の取り決めが最大の関心事になっていた。当時の風潮としてソフトウェアプログラムとは業務用コンピュータに自然に付いてくるものという認識があった。

Wikipediaの「Σプロジェクト」より引用

欧米は、1968年から「ソフトウェア工学」なる学問を確立することから始めて、遠い将来にはハードウェアよりもソフトウェアの方が価値が出てくると予見して(仮説を立てて)30年先のありたい姿からのバックキャスティングで今を考えることを訓練されてきました。

そんな欧米人に対して、我々は、今が幸せならそれでいいじゃないか、昔からそうしているんだからいいじゃないか、という前例踏襲と近視眼的な思考しかできなかったのです。

この差が、1985年からの40年弱の間にとてつもなく大きな差になって、世界第2位の経済大国だった国を衰退させていったとじーじは感じています。

この差は急には埋まりません。

狩猟民族と農耕民族の思考の差にまで行き着く差なのかもしれませんし、戦後の規格大量生産に向いた教育を続けてきた差に行き着くかもしれません。

我々昭和人は、決められたことをきっちり覚えて決められたルールの中で正解を導き出すことを競ってきた日本の教育を受けてきました。そんな教育をがらっと変えるのには、時間が掛かります。

でも、日本人はすごく良い発想力をもっていると思います。
ただ、残念なことに坂村さんのような方をみんなで支援する応援力や賞賛力が弱くて、村八分力や誹謗中傷力が強いのです。これも教育の課題です。

そして個社個別の最適化ばかりを追求してきた「ムラ」意識が、全体最適を考えないことを習慣化してしまったのではないでしょうか?

我が自治体だけ移住者が増えて人口が増えても、日本全体の出生率が1.3であるなら、負のインパクトを弱い自治体に押し付けているだけの部分最適なのです。これをいくらやっても日本全体は幸せになりません。これもきっと教育の課題なんでしょうね。

興味を持たれた方はこれも読んでみてください👇

世界の仲間を作りならが日本の若い力が昭和人の失敗を繰り返さないようにさあ、日本の反撃開始です。

頑張れZ世代!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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