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INTJ/ISTP 人の心はある
私にはもうすぐ小学生になる息子がいる。
私にも夫にも似ていない素直な心の持ち主だ。
「この二人の子供が何故こんなに素直なの??」
と周りからとても褒められている。そうだろ、そうだろ産んだ私もびっくりなんだ。
悪い事を考えてる、且つそれを楽しんでいる時の表情は夫にそっくりで、その片鱗を見る度に(ちゃんとそういうとこ持ってるな)と息子の可能性を楽しんでいる。
先日息子にこんな事を聞かれた。
「例えばの話だよ。お母さんはどんな仕事がしたい?なんでもいいよ?」
私「え。お母さんは仕事したくない」
あぁ、これでは会話が終わってしまう。こういう時は何か話したいことがあるんだよねと気付いて聞き返すと
「俺はね、研究者になりたい」
息子は宇宙や鉱石、物理や体の構造などに興味があるらしく、YouTubeでもそんな動画をよく観てる。それかボーボボ。ボーボボは強くてかっこいいらしい。
私「へー、何の研究をするの?」
「例えばさ、良い薬と悪い薬を粉々にちぃーーさくしてぇ、それをさ半分ずつ混ぜるの。色で例えると白と黒を混ぜて灰色になるでしょ?良い薬と悪い薬を混ぜてさ、どうなるのかとか。で、俺が開発した測定器に混ぜた物を入れてぇ、分析するの。どんな反応があったか調べるの」
測定器まで開発するとは。聞く感じ、世のため人のためではなく純粋な観察者だ。
「あとさーマイクラの世界に行ったら村人がどうなってるか研究したい」
私「ん?どういうこと?」
「村人って人間じゃないじゃん。だから中身がどうなってるのか調べて確認したい。本当はエンダーマンも調べたいけど危なそうだから。まぁ俺なら手から出るレーザーで一発だけどね」
そこは鼻毛神拳じゃないんだ。村人が人間なのかどうかは私も知らないが、少々サディスティックな発言に笑いを堪えながら未来の研究者に100均の実験セットをプレゼントした。
人間の頭部の精密なパズルが欲しいようだがそんな物があったとしてもリビングにはあまり置きたくない。
こんな会話をして思い返すと、当時の私は一時的なものでもこんなに具体的な夢はなかったと思う。周りの「お花屋さん」「ケーキ屋さん」の真似をして似たような事を言っていたが別になりたいと思ったこともない。みんなもそうだろうと思っていた。
当時女の子はおままごと「家族ごっこ」をみんなやっていて私も参加させられていた。年中さんだった私はそれに何の興味も持てず「家出少女役」を買ってでた。今考えてもキッズにしてはなかなか良いアイディアだと思う。家出少女なので遠くで別の好きな遊びをしていてもお咎めなしだ。
ちなみに息子は保育園のごっこ遊びでは「猫役」だそうだ。私は知っている。息子のお気に入りの女の子が猫好きなのを。コスいやり口が少々気に入らないが本人のささやかな楽しみだろうからほっとく。猫というよりその子の忠実な犬だ。
こんな話を職場のENFJに話すと「くらげさんて本当に人の心がないんですね」と真顔で言うのだ。
このENFJとはこういった本音プロレスをお互い楽しめる程度の仲だ。私は彼女に「ENFJさんは腹黒いね」と伝えている。
お互い本音だが面白いことにどちらも本気で受け取らない。仕事面でも協力プレイは比較的上手くやれている。この人がたまに発動するFeによる憤慨が前は理解できなかったが、今はそれを笑いながらおさめる事も出来るようになった。
ENFJに小さい頃何になりたかったのか聞くと「何か作るのが好きだったからモノづくり」そして今は「とある趣味の教室を開きたい」と結構明確なビジョンで夢を語っていた。いつもの周りへ出すテンションではなく、落ち着いたトーンだったからマジなんだろうなと思えた。
ENFJらしいし素敵だなと思ってその気持ちを率直に言ったら「うわ、気持ち悪」と返ってきた。私にだってこのくらいの人の心はあるでしょ。
純粋になりたい職業を目指せるって素敵だと思う。そしてそれが誰かのためになる職業なのがENFJらしい。朝の4時から起きて、あと10年だからとお母さん業をやるENFJを尊敬する。
将来の夢はまだ特にないが、今現在のくだらない話で笑って、しょーもないものに喜びを感じられる価値観は環境が変わっても大切にしたいと思う。
それは幼少期に私が無意味な物として排除して来た物で、でもそれは無意味ではないし多角的に物事を見ようとする為の必要な余白になると感じている。
息子にもたくさんの余白があって好きな物語を描いていって欲しいと思う。