年齢を重ねる瞬間は「赦し」と「セルフケア」ではないか
誰にでも訪れる、「誕生日」という瞬間
当日はどのように過ごしていますか?
私にとっては、美味しい料理をいただき、ゆっくり過ごすのがここ数年の定番
ですが、当日の風景や感じ方は毎年異なっている気がしています。
今回は私事ですが、先日誕生日を迎えたので改めて、
誕生日という1/365ではない1日について考察してみます。
■自己理解からの赦し
自分のことは自分が一番わかっている
自分のことは自分が一番わかってない
どちらも聞く言葉で、私なりの着地点は
わかっているようでわかってない
誕生日には、社会ではなく、個人としての1年が更新される感覚です
白紙の本にまた1ページ記録が残っていく感覚とでもいいましょうか
この1年何に時間を使ったのか、振り返ると
今日からの目の前の日常が色褪せることなく、輝いていく気がします
そして、時間の使い方から自己理解が深まる。
全知全能の感覚から自分を赦せるようになる感覚というと
大袈裟かもしれないですが・・・
自分を赦せるようになると他者も赦せるようになってきています
歳を重ねることは社会へ調和するための「問い」を投げてくれている
のかもしれないですね
■セルフケア
冷静に考えると、生まれた瞬間から、呼吸をずっとしている
意識しないと絶対考えないこと
毎日睡眠しているのでその時身体は休んでいるかも
しれないが呼吸は別だ
そう思うと、呼吸をするために働いている臓器に
感謝の念を抱くようになった
1日たりとも、むしろ生まれてきてからずぅぅと
動き続けてくれて有難いことである
誕生日ぐらいは身体に手をあてて
セルフケア、身体の声に耳を傾けるようにしていきたいと思ってます
こうやって原稿を書いているその瞬間も
呼吸をしているんですね、不思議な感覚です
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