撃破されたロシア戦車を見て思う事
ウクライナの戦争でロシア軍戦車が対戦車ミサイルジャベリンにかなり撃破され、戦車大国ロシア戦車が意外に脆いもののように扱われた。
しかし、戦車不要論が日本にも昔からあり他国では戦車を廃止していた国もあったのに、最近はウクライナの戦争の戦訓から戦車を復活させている国が出てきている程重要視されている。
そのウクライナも戦車を要望しているのが現状で戦車不要論なんて言ってる机上の空論者はやっぱり現実が判っていないことが明らかになった。
日本じゃ平和ボケして机上の空論優等生が多いから戦車を激減させている愚かさは笑えない。
そんな話をするんじゃなかった、ロシアの撃破された映像なり画像なりを見て、普通の人は「戦車が破壊され吹っ飛んでる」ぐいにしか思わないだろうし、ちょっと戦車やミリタリー好きは戦車の構造だったり蘊蓄を披露する。
しかし、戦車に乗っていた者の視点は違う。
まず乗っていた戦車兵の安否を気にするし、どうなったのか想像してしまう。
それは当然だろう、現役なら将来の有事での自分の姿であり、元戦車乗りなら冷戦でソ連軍と戦ったならと想像してしまうのである。
そして撃破された戦車を見て思うのである。
「ああ、ここに丸太や板が・・・ロシアの戦車乗りも同じ創意工夫していたんだな・・・」と。
戦車を動かす、それは戦車乗りの弛まぬ努力と創意工夫によってはじめて戦車の威力が最大限に発揮されるのである。
そういう撃破された戦車から垣間見えるロシア戦車兵に強いシンパシーを感じる。
昔、中国へ行った時にT-55戦車を見た。
車体前面に板が敷いてあった。
自衛隊の戦車でもそういうことをしたりする。
泥除けだ。
密閉操縦すると泥が跳ね視察窓に石礫のように泥が飛んで来て視界を塞ぐのである。
最悪車長の誘導だけで盲操縦するしかないが、ハッチを開け半密閉で窓を拭きながら操縦するのである。
そのための泥除け板である。
そういう戦車は一般人も戦車好きもほとんど見ることはないし、一般公開でも訓練展示でもそんな物は付いていない「よそ行き」の姿の戦車しか見せないからね。
本当の戦う戦車の姿は戦車好きでも実は見たことがないと思う。
今回の画像の戦車は判り難いと思うが、そういう戦車の姿なのである。
戦車かどうかも判らぬ偽装をしているのである。
話が脱線しがちなのでここまでにする。