2021年の夏の話

 今年の夏は酷暑になるらしいとニュースで言い出した。ずいぶんと前からそんな噂は耳にしていたけれど、いよいよ本当にやって来るらしい。朝十時半の部屋は、気温29.3℃に湿度73%。気温もだが、私にとっては湿度のほうが不快指数は上がる。ようやく半夏生、確かにタコなどさっぱりしたものが食べたくなる気持ちもわかる。タウリンと言えばイカ、と思っていたらタコのほうが多いということを友人に教わった。さらに調べると牡蠣にはもっとふくまれているらしい。それならいちばん食べたいのは牡蠣だなと思ってしまった。
 先週姉がダウンした。決して珍しくもなく、驚くほどの話でもない。毎年のように熱中症気味になってはダウンを繰り返していたらしく、昨年とうとう「自律神経失調症」と診断された。私から見てその病名は不定愁訴にとりあえず当てられた病名のような気がして、話を聞く限り本当のところは、もう何年も前から姉は鬱症状を抱えていたのではないかと思っている。動けないほどになって一日中ベッドの中にいて、それを毎年のように熱中症だと片付けてきたのだとしたらあまりに無神経な話だ。たとえ自律神経失調症が正しい診断だとしても、もっと早くに気づいてよかったはずだ。幸い思い当たるところに順に手当てをしていった結果、随分と回復したようだ。いろんな理由で、私はほっとしている。

 昨年、2021年は私が実家に戻って初めての夏だった。2回他県の比較的乾燥した地域で夏を過ごしただけで体質まで変わったのか、私までも熱中症気味になった。湿度60%を超えることが珍しい地域で、風が良く吹いて、気温こそ40度近くなるものの、2回過ごした夏でそれほど困った記憶がない。生まれ育った地域の気候に悩まされる日が来るとは思ってもいなかったが、とにかく湿度には参ってしまった。何とか気を付けて、割合早く回復したと思う。そして、母も姉も同時期にビョーキになった実家で台所仕事を引き受けることにしたのだった。
 私自身も病気療養で休職中の身だ。ふと、一体何をしているんだろうと我に返ることもあったが、目の前にあることをせねばという気持ちと、自分の食事もかかっているという切実な事情と、元来台所仕事が好きだったことも幸いして、一通りはこなすことができた。
 もちろん自分で作り上げた家ではないわけで、しかも数年離れているうちにできているルールや習慣を踏襲するのは困難だった。やってるのは私なんだから黙っててくれ、とも思った。姉がカムバックとダウンを小刻みに繰り返したのも、やりづらさに拍車をかけた。冷蔵庫の中身を把握しようにも、勝手に詰め込まれていく購入品に追いついていくのにはため息が出た。使うべき生ものを見て考えておいた献立があるのにお惣菜を買ってきたから料理しなくてもいいよとドヤ顔で言われるのにも、どこかの誰かからいきなり届けられるお見舞いと称した差し入れにも、悩まされることは幾種類も幾度もあった。
 庭でとれたというバラを持ってこられたときは、お見舞いをするときには内容を考えないといけないなと気づかされることになった。トゲをひとつひとつ取り除き、毎日水切りをして水替えをする、そんな手間は元気な人しかできない。お見舞いの花は側に元気な人がいてくれないと成り立たない。その日私は、大量のバラと一時間ほど格闘する羽目になった。トゲを取り、水切りをして、花瓶に入れる手間。その後も切り花が届けられることはあったが、花の色も大切で、例えばオレンジのガーベラは私が見てもしんどかった。ビタミンカラーと言われる本来なら元気が出る色のはずが、色が元気すぎて、弱った人にはしんどく感じられることもあるようだ。それに青い大きなリボンがかけられていた。青は鎮静効果があるが、弱った人には落ち込みに拍車をかける可能性がある。オレンジと青のコントラストも相まって、今までで見た中で一番素敵ではない花束だった。今後自分が何かお見舞いをするときにはよくよく考えようと心底思った。
 台所仕事をしている中で一番いやだと思ったのは、父の言葉だった。人をイラつかせる天才、ともいわれる人である。そういう人だ、と思ってはいても、数々の言葉に私はイライラした。その中でも特に記憶にあるのが、家の中で私だけがあるコミュニティに属していないことについて言われたことだ。コミュニティの集まりに参加せずに家のこと、料理はしているだなんて自分の心情として嫌だ。集まりがある日に料理はしないでくれ。そう言ったのだった。
 私は言い返すこともしなかった。呆れてものも言えなかった、というより、ちょっと意味が分からない、というのが最初の感想だったと思う。後から「お前の心情にかまってるヨユーなんて今この家にはねえよ!」という、いつもながらの悪口を内心繰り返すのみだった。勝手にせえや、と毒づきながら。それでもそう言うのなら、と週のうち数日は一切料理をしなかった。集まりのある日にコミュニティの誰かから届けられた大量のみょうがだけは、確かその日のうちに洗ってすべて使いやすいように切り分け冷凍したと思う。おそらくそれも自家栽培のみょうがだったのだろう、スーパーで売っているようなかわいいものではなく、みょうがなのかすら疑わしい大きさだった。新生姜かな?と一瞬疑った。
 父の心情にかまっている余裕などあのときあの家にはなかったはずだ。病気療養中の私が、家の他の人より多少は元気があり、食事を作っている。自分の回復のために使うはずの時間を削り、生活リズムまで変えて対応して、そのうえで人の心情を押し付けられたのだ。一人の心情を満たすためだけに食事を作らずお弁当やお惣菜で済ませる。それを私はバカバカしいことだと思うし、父は自分がおかしいなどこれっぽちも思わない人だから、今でも自分の心情を優先するだろう。そんなおかしなねじれ曲がった狂った場所が、2021年の夏のあの家だった。

 どうやら梅雨明け宣言を待たずに今年も夏がやってきたかのようで、早くも姉はダウンした。一旦良くなったように見えてはいるが、昨年と同じくダウンと回復を繰り返す恐れは十分ある。母のビョーキはよくなる気配がない。他の面々はよく分からないし、私は私で自分のことだけを考えている。姉はまだ食事を作れているし、買い出しにも行けているが、またいつ去年のように何もできなくなるかは分からない。「今日はちょっとレタス千切れない」と言っているのが聞こえた。嫌でも昨年のことを思い出す。2021年の夏は本当に、どうかしていた。
 休職中に実家に戻ったことについて、外から見るとそれは「よかったね」ということになるらしい。実際うまくいっていなかった家族と、病気とはいえまた相まみえ一緒に暮らしだして、世間一般的に言えば「よかった」ということになるのだろう。助け合って暮らしていてよかったよね、とも言われた。そんな簡単な話じゃないのにな、と内心思ってはいる。病気療養中に他の人の病気のために家事を引き受けるなんて。それもすべて世間では「よかった」になるのだろうけど。
 今年の夏は何があっても一切の家事に手を貸さない、と今のところは決めている。役割分担とかしたら?と誰かに言われたが、一切手を引くと決めたら私も頑固者で、意地でも貫こうとしている。理由はいろいろあるけれど、やはり一番に挙げるとすれば父の言葉だと思う。表向きの理由としては、私もそろそろ次を考えるときだから、ということだったりする。それは嘘でもなんでもなく本当の話で、私もそろそろ考えなくてはいけない時期になったのだ。これからの私の人生を長い目で考えたとき、家のこと優先に動くわけにはいかない。それでも本当の理由は別のところにあって、一年たっても私は根に持っている。お前の心情にかまってるヨユーなんてねえよ。今でもすらすらと言える。一生でも言えるかもしれない。
 今年の夏は何とかして乗り切るしかない。そう思ったとたん自分も熱中症気味になりどうにも頭がぼーっとしてしまった。来年の夏はもう私も自活できているようにしよう。そうしてこの家の問題など引き受けないどころか、見聞きもしないで済むようにしよう。重い頭でそんなことをぼんやり思う。そのためにも今年は、私は一切の家の問題にうっかり手をつけたりしないよう気を付けながらやり過ごすのだ。