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私は何故うつ病になったのか?

こんにちは、杲(ひので)です。
今回は、『私(達)が何故うつ病になったのか?』を過去を振り返りながら話していきたいと思います。

親の性格は?

日和さん(基本人格)の両親は、私達とは性格が合いません。母親は些細なことでヒステリックに怒鳴りますし(何がスイッチになるか分からない)、例え母親の意見が一般的または合理的に考えた時に間違っていたとして、それを私達が指摘をすると怒り狂ってお前が悪いとしてきます。謝罪すらありません。とにかく何が母親の怒りのスイッチになるか分からないので、常に怯えて良い子を必死に演じていました。父親は、いちいち細かく、さもあなたの意見を尊重していますよという雰囲気を出しながら自分の意見を押し付けてくるので、母親ほどでは何にしろ避けたい存在です。

幼稚園時代

特筆すべき点はありませんが、友達を作るのがとにかく苦手でした。どうコミニュケーションを取れば良いのか全く分からなかったそうです。

小学校時代

小学3、4年生の2年間虐めの標的になりました。死ねと言われり、〇〇菌と言われて避け続けられました。その小学校は、3、4年生とクラス替えがないのも悪く働いたと思います。4年生になり、日和はクラスの人気者を分析します。ああいう風に話せば良いんだ、ふるまえば良いんだということを学習して、実践し、友達を作ることに成功します。虐めは続きましたが、友達達が守って味方をしてくれたお陰で以前よりは楽に生活ができるようになりました。4年生の終わりに親の仕事の都合で引越しをしたため転校します。転校から卒業までは友達も居ましたし、何も問題ありませんでした。

中学生時代

入学早々再び虐めに合います。日和がクラスメイトのあまりの人間性の低さにびっくりして必要以上に避けてしまったのが原因だと思います。都会なら中学受験の選択肢もあったのかもしれませんが、田舎でしたし親には子供を受験させる発想も、塾に入れる発想すらありませんでした。というより家自体にお金があまりなく、塾には通えませんでした。日和は塾に通うのが夢だったりもしましたね。田舎の公立中学校でも、中学生になれば自然とみんな塾に入りますから、憧れもあったのでしょう。日和は勉強が出来るほうでしたし、入っていれば伸びたかもしれませんね。虐めに合ってから、そのまま卒業まで不登校でした。

高校時代

不登校だった日和ですが、普通に高校に進学します。毎日学校に行き、1年生の終わりあたりで友達に虐めには発展しなかったものの、無視されるようになり、人間不信に陥ります。自分は何か悪いことをしたのか?理由も分からないまま、縁が終わり、そのまま人が怖いとずっと思うようになります。そのあたりで1番初めの子が日和の中でIF(イマジナリーフレンド)のような感じで存在しはじめます。交代もしていましたが、日和とは記憶も全て共有でした。そのまま人数が増えまじめて、人数が増加の一途を辿るようになります。半年が経過した頃には、日和はうつ病を発症していて、学校に来る臨床心理士の先生に相談したら精神科の受診を薦められました。けれど、親に言えず、時間だけが経過していきます。交代した人格が自傷行為を始めます。腕や足を切り刻みます。うつ症状に耐えられずに学校のトイレでこっそりやっていたこともあります。薬の過量服薬もはじめて、うつ病も解離症状もだんだん悪化していきます。とうとう通学中に電車内でパニック発作も起こし、ボロボロでしたね。日和は先生が黒板に書いた簡単な日本語すらも読めないほどに状態は悪化していました。解離してると不思議なんですよね、日和はうつ症状で文字が読めなくても、人格側は日和ほど酷くはないため普通に授業を受けてテストも受けることができていました。元気そうな普通の女の子を演じることができていました。そしてボロボロながらも高校を無事に卒業します。

専門学校時代

高校生の時の受験で、心理学部や法学部に進みたかった日和は、父親にそう言います。結果は駄目でした。結局、許されたのは医療系の学校でした。それも家から通える範囲の県内に限り許されました。そこで私達は作業療法学科のある専門学校に進みます。もちろん、奨学金も借ります。ところが通学に片道2時間かかる問題点があり、一人暮らしを父親に打診したものの、許されず、日々悪化していくうつ病を抱えながら、学校に通うことになります。そもそも私達には自室がなく、母との共用で部屋を使用していました。朝5時起きのため早く寝たい日和と遅くまで起きてテレビを見ていたい母親とでトラブルが起きます。電気やテレビを消してほしくて伝えても、母親は、うるさい!と怒るばかりでまともに話しを聞いてくれませんでした。そもそも何故夏場でも家では隠さずにいた自傷跡に気づかない…?毎日顔合わせてるのに…?同じ部屋に居るのに…?娘がこんなボロボロなのに何故気づかない…?それだけ私を見ていないということ…?とモヤモヤ悲しい気持ちも膨れ上がっていきます。人格の人数も増えていきます、新しく来た人格がたった数日で病んで駄目になっていく世界です。とうとう教室に居ても自分が何処にいるのか分からなくなりはじめます。悪夢を毎晩見るようになります。解離しても解離しても対応できなくなります。ある日ぷつりと糸が切れて、動けなくなり、そこでようやく両親は私達がおかしいことに気づいて病院に連れていき、うつ病と診断されることになります。そして今現在も続く長い長い闘病生活に入るわけですね。

他にも、同居していた毒祖母が認知症になり、ずっと悪口を大声で言っていたり、認知症の症状である盗人扱いも頻繁にあり、家の環境自体が良いとは言えませんでした。

《最後に》

長々と書いてしまいましたが、ここら辺にしておきたいと思います。次回は私達の霊感について書いていきます。最後まで読んでくだり、ありがとうございました。

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