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古事記コラム⑧万葉集にみられる古事記神話

 ※古事記を考察しながら思いついたことなどをいろいろと書いていきます。検証不十分、想像多め。

 自説の古事記解釈で見えてきたのが、ヤマトタケルと婚約したものの、間違えた相手の子を妊娠してしまい、自死してしまったミヤズヒメの話だ。

 万葉集にはこの話を扱ったと思われる歌がある。ただし、歌も独自解釈になるので、あくまで自説と自説の組み合わせだ。


 まずは、天武天皇と額田王の歌だ。古事記を残すよう指示したとされるのが天武天皇だ。

額田王
 茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
 (あかねさす むらさきのゆき しめのゆき
   のもりはみずや きみがそでふる)

天武天皇
 紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八
 (むらさきの にほへるいもを にくくあらば
   ひとつまゆゑに われこひめやも)

 二人の関係性が注目され、よく知られる歌である。

 だが、この『ひとつま』という言葉は、私の考察ではヤマトタケルとミヤズヒメの出来事をあらわすキーワードだ。

 そう思って読むと、『あかねさす』も、赤ちゃんが根差す、すなわち妊娠を表しているように感じる。標野行は、ミヤズヒメの死を意味しているのかもしれない。
 『君が袖振る』というのは、ヤマトタケルがいない時に男性を招き入れてしまったミヤズヒメの姿だろうか。

 ミヤズヒメの話を歌う額田王に、天武天皇は、『ひとつま』になってしまったミヤズヒメを憎めたなら、こんなに恋しくなどなかったのに、というヤマトタケルの想いを返したのではないだろうか。


 また、十市皇女が亡くなったときに、高市皇子が歌ったとされるのが次の三首だ。十市皇女は天武天皇と額田王の子、高市皇子は天武天皇の子である。

三諸之 神之神須疑 已具耳矣自得見監乍共 不寝夜叙多
 (三諸の神の神杉 巳具耳矣自得見監乍共 寝ねぬ夜そ多き)

神山之 山邊真蘇木綿 短木綿 如此耳故尓 長等思伎
 (三輪山の山辺真麻木綿 短木綿 かくのみゆえに長しと思ひき)

山振之 立儀足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴
 (山吹の立ちよそひたる山清水 汲みに行かめど道の知らなく)

 一首目は、読み方が判明していないのだが、ミヤズヒメにつながる三輪山のことを歌いながら疑うという字を入れているのは意味深だ。
 二首目も三輪山のことを歌い、早すぎる死を嘆く様子はミヤズヒメの死に重なる。
 三首目は、伊吹山の居醒の清水の話を引用しているのかもしれない。居醒の清水はヤマトタケルを回復させたとされる泉だ。ただ、古事記のヤマトタケルの話はほぼ自説とは内容がずれるので、ここだけ引用されたというのはあまり納得できない。何か元ネタがあるのだろうか。

 これらの歌は、本当に十市皇女の死に対し歌われたのだろうか。
 十市皇女には、急死し、天武天皇が声を出して泣いたというエピソードがあるらしい。まるでイザナミの死を悲しむイザナキ、ミヤズヒメの死を嘆いたヤマトタケルだ。
 十市皇女をミヤズヒメに重ねたい人がいたのかもしれない。


 天武天皇の妻・持統天皇には次のような歌がある。

 春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
  (春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣干したり 天の香久山)

 天の香久山は天岩戸を象徴する場所だ。
 ということは、ここでいう白い衣とは、天岩戸で使われた白和幣ではないだろうか。

 私の独自解釈だが、夏が来たことを知らせる白い布とは、天の川ではないかと思う。
 天の川は、夏の大三角と同じ方向にあり、夏になると見やすくなる。ということは、春の終わりには、藤原京から東南の香久山の上に見えた可能性があるだろう。
 また、天の川の形を写真で見ると、下が二股に分かれていて、和幣に似ている。
 衣を干す、というのは和幣とは合わないのだが、織姫星の織った布(衣)の星(干し)で天の川という答えを示しているのかもしれない。

 持統天皇は、火葬され、天武天皇と同じ墓に葬られたという。
 火葬、といえば私の古事記考察ではミヤズヒメだ。持統天皇はミヤズヒメになろうとしたのだろうか。

 十市皇女の話といい、持統天皇といい、この頃、神話を自分たちと紐付けたい人たちがたくさんいたのではないだろうか。
 天武天皇も、事実と異なる加筆がされた書物が作成されていることを懸念していた。
 もしかしたら、古事記の神話がこれほど分かりにくいのは、改ざんをさけようとしたためなのかもしれない。


 最後に、額田王の歌を紹介する。
 高市皇子の歌と同じく、読み方が定まっていない難読歌だ。難しすぎて正解は分からないが、暗号解読みたいで面白い。
 これはひとつの解答案だが、いつか誰かが正解を出す助けになるかもしれないので載せておく。

莫囂圓隣之 大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
 (莫囂圓隣之 大相七兄爪謁氣
   わがせこが いたたせりけむ いつかしがもと)

 この歌を私の想像で読み解いたのがこちら。

 莫囂圓隣之  まぐわりの
 大相兄   ひしゃく(北斗七星)
 爪謁氣    妻ゆき
 吾瀬子之   わが背子の
 射立為    射たたす
 兼可    弓星(カシオペア) + いつか
 新何本    あらなも  

 七と五からイメージされるのが、北斗七星とカシオペアだ。この二つの星座は、北の空で北極星の周りを回りながら、決して重なり合うことはない。
 その北斗七星とカシオペアの和名が、ひしゃく星、弓星だ。
 ひしゃくは雛人形で三人官女が持っているように女性を表し、弓は男性、特に武人を表すと解釈できる。
 額田王は、北の空の星座にヤマトタケルとミヤヅヒメの悲しい物語を重ねたのではないだろうか。

 最初の漢字は難しいが、あえてこの漢字を選んだということは、漢字にも意味があるはずだ。
 莫(マク・バク、 暗い)囂(ゴウ、騒がしい)円(エン、輪)隣(リン、隣り)から、読みに『目合わり』をあてつつ、同心円上の隣で、相対した位置にある二つの星座(夜空の星の集まり)を示していると解釈した。

意味をまとめるならば、
『結ばれないままに婚約者の妻・ミヤズヒメが亡くなってしまった。いつか夫・ヤマトタケルが彼女と結ばれることはあるのだろうか。』
といったところだろうか。

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