古事記コラム③発生学と日本
※古事記を考察しながら思いついたことなどをいろいろと書いていきます。検証不十分、想像多め。
前回、古事記を発生学で解釈してみた。
しかし、こんなにも詳細な発生学の知識が、古事記以前に本当にあったのだろうか。
実は、日本にはそれを示すと思われるものがたくさんある。
伊勢神宮
天照大御神を祀る伊勢神宮では、内宮に天照大御神、外宮に豊受大神が祀られている。
発生学的には、アマテラスは卵子から始まる胎児、豊受姫は胎盤と解釈できた。
ということは、伊勢神宮は、内宮に胎児である天照大御神、外宮に胎盤である豊受大神を祀っていることになる。これは外宮の豊受大神が天照大御神の食事を司るとされていることと解釈が一致する。
出雲大社
大国主は出雲大社に祀られているが、出雲半島は心臓が拍動を開始するころの胚子に似ている。
そこに作られた大社は、子どもを育てるための胎嚢ではないだろうか。
出雲半島を胚子に見立てた場合の「心臓」の位置にある湖が、「宍道(しんじ)湖」というのも興味深い。
籠・カゴ
前回の記事で、本来ならば黄体に繋がるイザナミの死は排卵であり、カグツチは卵子の周辺細胞であるはずだと述べた。
カグツチのように、卵子を守る周辺細胞は『カゴ』と呼ばれたのではないだろうか。
鹿児島という名はもともと桜島のことだったと言われているが、おそらく桜島が 包まれた地形を、桜島という卵子を包むカゴ島と呼んだのだろう。
天香久山は、耳成山という卵子を排出した後のカゴの山とみることができる。耳成山は本来、実(子)を生す山なのだろう。
天橋立には『籠(この)神社』がある。
天橋立のある宮津湾は、子宮の形に似ている。その宮津湾にかかる天橋立は、子宮に繋がる卵管と考えられる。
籠神社は、天橋立という 卵管に向けて排卵が起こる場所に作られている。籠神社は、卵子という子を守り、送り出す神社といえるだろう。
かごめかごめ
童謡のカゴメカゴメにもカゴの解釈が適用できる。
かごめ、籠の中の鳥 = 『カゴ』の中にいる卵子
いついつでやる = 排卵はいつか?
夜明けの晩 = 排卵の夜
鶴と亀が通べった = 女と男が通じた
カゴメカゴメの遊びでは、最後に「後ろの正面だあれ?」と目を瞑った真ん中の子が周りを囲む子の中から一人を選んで名前を呼ぶ。
これは真ん中の子=卵子が、周囲のたくさんの精子の中のひとつと、偶然のように結ばれることを表している遊びと考えられる。
(鶴を女性としたのは、子宮から卵管が伸び、卵管采が広がる様子を鶴に見立てたという解釈だ。また、正面はもともとは精子を表す白面なのかもしれない)
とおりゃんせ
同じく童謡で言えば、とおりゃんせの歌も、行きはよいよいと勢いよく卵管の細道を上っていった精子が、帰りは受精卵となって七日かけてそろりそろりと卵管を下ってくる歌と解釈できる。
七つのお祝いにお札を納めるとは、七日目に受精卵が着床し、子宮内膜に潜り込むことを表しているのだろう。
君が代
日本の国歌もこの解釈で読み解ける。
男を表す『キ』と、女を表す『ミ』が結びついた「キミ」は受精卵である。
君が代とは、受精卵が細胞分裂を繰り返し、さざれ石のような小さな細胞から巌のような胎児へと育ち、子が無事に生まれる(生す)ことへの祈りが込められた歌と考えられる。
そう思ってみると、日の丸の白地に赤い丸も、精子と卵子を表しているのかもしれない。
このように、いろいろなことが発生学の知識と関連付けられるのは非常に興味深い。古代日本に発生学の知識があった可能性はあるのではないだろうか。