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古事記コラム②古事記を発生学で読み解く

※古事記を考察しながら思いついたことなどをいろいろと書いていきます。検証不十分、想像多め。

 これまで古事記を歴史として解釈してきましたが、実は、それ以外の解釈もできると思っています。それが、古事記を発生学的に解釈する説です。(発生学については独学ですので、間違いがございましたらご指摘ください。)

歴史としての解釈はこちら。

 実は、歴史よりも先にこの説を考えていたのですが、この説だけでは説明できない部分が多く、それらを筋が通るように考えていくうちに、上記の歴史としての解釈にたどり着きました。

 しかし、歴史として読み解いてなお、この発生学的解釈も古事記の解読には必要なのではないかと考えています。
 以下では、長くなりますが、発生学としての解釈を説明したうえで、その解釈と合わせると理解できるカグツチとイザナミについての考察を書きます。


古事記の発生学的解釈

神代七代・・・卵子と精子から受精卵が着床するまで

 冒頭の部分は、ほとんど神の名前の羅列となっている。
 だが、その中にも少しのヒントがある。『独神』と『別天神』だ。

 初めの七柱の神は『独神』であるという。独りであるというのは、対でない、ということだ。 つまり『独神』は生殖細胞を表している。
 生殖細胞の染色体数は、通常の体細胞の半分である。その半分ずつだった染色体が受精で足し合わされて、新たに一対の染色体を持つ『子』の細胞となる。

 『独神』のうち五柱の神は、さらに『別天神』であるという。これは別の細胞であることを表している。すなわち『独神』で『別天神』の神とは、卵子と精子だ。
 そして『別天神』ではなくなるのは、精子が卵細胞の中に入り込む、すなわち受精したときだ。

 始めの三柱の神は『別天神』であり『独神』だ。
 これは卵子と考えられる。三柱の神は、原始卵胞、成熟卵胞、そして排卵される卵子、の三段階の卵子を表しているのではないだ ろうか。(卵胞とは卵子とそれを囲む細胞のセットのことである。)

 続く二柱の神もまた『別天神』であり『独神』である。
 同じ条件でありながら卵子とは 別に書かれているこれらの神は、精子だろう。精子が二段階で表されるのは、精子もまた、 精祖細胞から成熟して精子になるためかもしれない。

 ここから先の神々は『別天神』ではない。
 つまりここで受精がおきるのだ。受精がおきると、卵子と精子は前核となり、融合していく。この段階が『別天神ではないが、独神である』二柱の神と考えられる。豊雲野神という名は、雲のように融合している状態を表しているのだろう。

 融合が完了すると、新しい子の細胞となる。子の細胞はもう独神ではない。新しい細胞は、すぐに細胞分裂を始める。
 これが『別天神でもなく、独神でもない』神が二柱ずつ生まれる様として書かれている。

 こう解釈していくと、『神世七代』が受精後の神々であることが分かる。
 受精後、受精卵は細胞分裂を繰り返しながら、七日かけて卵管を下り、子宮内膜に着床する。『神世七代』 とはその期間のことなのだ。
 この時の細胞は、まだ器官に分化していない、すなわちすべての能力を持った、いわゆる万能細胞である。それが神ということなのだろう。

国生み・神生み・・・器官が作られ、出産するまで

 受精後に細胞分裂で増えた細胞は、初めは全て同じ細胞だが、徐々にそれぞれ役割を持ち始める。
 周辺の細胞となるもの、卵黄嚢を作るもの、と分かれていき、羊膜腔ができた時、のちに胎児となる細胞は円盤状になっている。
 続いて、この円盤状の細胞の端から線状に隆起が起こる。これを原始線条と言い、胎児の形成はこの原始線条の発生から始まる。
 原始線条の発生は受精後三週目に始まり、一週間後には心臓の拍動が開始する。

 国生みは、イザナキとイザナミが天沼矛を差しいれるところから始まる。この天の沼矛は原始線条と考えられる。
 そして、その天沼矛を引き上げた時にできたのが、『こおろこおろ』と鳴るオノコロ島、心臓だ。
 この時期は流産しやすい時期でもある。子となれなかった水蛭子と淡島の存在は、その事を表しているのだろう。

 それから、大八嶋と言われる八つの島ができる。これは受精後8週までに、ほぼすべての主要器官ができることを表している。
 後から作られる島は生殖器だろう。

 この国生みの後、数多くの神が生まれていくのだが、生まれた神々の数を全て足すと38柱になる。これは受精後38週で出産となることと一致する。

 終盤の神々の誕生を見てみよう。まず、火の神を生んだイザナミがみほとを炙り病に臥せる。

  これに続いて生まれるのが、金山毘古(カナヤマビコ)神・金山毘賣(カナヤマビメ) 神と、波邇夜須毘古(ハニヤスビコ)神・波邇夜須毘賣(ハニヤスビメ)神の二組の神で ある。
 彼らの名は、痛みと、痛みの治まる時間が繰り返す陣痛の様子を表していると考えられる。

 陣痛が始まれば、いよいよ出産だ。ここで生まれるのが彌都波能賣(ミツハノメ)神だ。 水を表す名をもつこの神が表すのは、破水だろう。
 そして、和久産巣日(ワクムスヒ)神 が生まれる。「ワク」は若、「ムスヒ」は生まれる子、つまり息子(ムスコ)であり娘(ムスメ)だ。
 最後に、和久産巣日神の子として豐宇氣毘賣(トヨウケビメ)神が生まれてくる。このトヨウケビメは、胎盤と考えられる。

ツクヨミ・黄泉の国・・・黄体

 イザナキが生んだ三貴子が、アマテラスとスサノオ、ツクヨミである。
 発生学的に解釈する場合、アマテラスは卵子、スサノオが子宮内膜、ツクヨミが黄体と考えられる。

 ツクヨミについては情報が少ないのだが、ツクヨミのヨミは黄泉に繋がり、黄泉の字は黄体に繋がる。このことから、ツクヨミは黄体であり、黄泉の国の話は黄体の話であると考えられる。

 卵巣内で卵子を包んでいた細胞は、排卵後に黄体に変化する。その後、妊娠が起こらな ければ、黄体は退化していく。
 黄泉の国で、イザナミがイザナキに「もっと早く来てくれれば」と言っていたのは、受精しなかったことを表しているのだろう。

スサノオ・八岐大蛇・・・子宮内膜

 子宮内膜は、妊娠に向けて厚くなる。受精が起こらなければ月経時に排出されるが、受精が起これば排出されることなく、出産まで胎児を包み守っていくことになる。

 これがス サノオの八岐大蛇の話である。
 八岐大蛇に連れていかれた七人の娘は七日間の月経を表している。オロチには『降ろ血』 の意味もあるのだろう。

 最後の一人は、スサノオと結ばれた、つまり受精したため連れていかれなかった。
 子宮内膜は、八重垣のように胎児を包み込んで守っていく。

アマテラス・・・卵子から胎児へ

 アマテラスは、イザナキから緒を揺らして首飾りを受け取る。このイザナキの首飾りは 精子と考えられるので、ここで卵子アマテラスは受精卵となる。

 受精卵は、厚くなった子宮内膜に潜り込んでいく。スサノオがアマテラスに会いに来るというのは、このことを表しているのだろう。
 この時、アマテラスは玉を巻いて武装しているが、子宮内膜に潜り込んでいく際、受精卵は胚盤胞となり、周辺細胞に身を包んだ状態になっている。

 アマテラスが岩戸に入るのは、胎児となる細胞が円盤状となり、まるで何もなくなったように見える状態を表している。

 そこからアマテラスが岩戸の隙間を開ける ように原始線条が発生する。
 アマテラスが戻らない様にと結んだ注連縄は、おそらく神経管の形成だろう。

大国主・・・精子から胎児へ

 大国主には5つの名前がある。
 発生学として解釈するならば、次のようになるだろう。

  • 妻問いをする八千矛:精子

  • 八十神の兄弟がいるオオナムチ:桑実胚

  • スサノオの国へいくアシハラノシコオ:子宮内膜に潜り込む胚盤胞

  • 大国主:胎児

  • ウツシクニタマ:名前しか出てこないが、生まれてくる赤ちゃんか。

 アマテラスの話と同様に、アシハラノシコオが穴の中に隠れるという表現で、胎児となる細胞が円盤状となることが表されている。
 大国主が穴から出てくるきっかけは、ネズミが持ってきた羽の無い矢。原始線条だ。
 その後、アシハラノシコオがスサノヲの元から逃げ出す時に、琴が大きな音を鳴らす。これが心臓の拍動に対応している。

山幸彦・・・着床

 山幸彦の話では、山幸彦が海神の御殿に行く過程が書かれている。
『籠の小舟に乗ってすすむと海神の御殿がある。
 そこで待っていると、海神の娘の侍女がやってきて水の器を差し出す。
 首の玉をほどいて器に入れると、玉は器について離れない。
 海神は山幸彦を迎え入れ、八重に重ねた敷物の上に座らせた。』

 物語的にはよく意味が分からない流れだが、これも発生学で考えれば理解できる。
 首の玉はイザナキがアマテラスに与えたのと同じ精子だ。器について離れないのは受精したということだ。
 迎え入れた海神は子宮内膜だ。八重垣を作ったスサノオと同じように、八重に受精卵を守っている。

古事記考察

カグツチとイザナミ

 歴史として解釈した古事記は、三国を作り、そこにたくさんの人を増やした、まさに国生みと神生みの物語だった。
 その中で子の数に入らなかった水蛭子と淡島は、天皇にならなかったホムチワケと息長田別王だろう。

 この神生みの途中で、イザナミは火の神カグツチを生んで病に臥せる。
 実は、この場面は発生学的に読むと不自然だ。

 イザナミの死は黄泉の国の話につながる。
 黄泉の国は黄体であるから、黄体につながるイザナミの死は排卵であるはずだ。排卵で生まれるカグツチは、卵子を包んでいる周辺細胞と考えるのが妥当だろう。排卵後、周辺細胞が黄体になるのだ。

 本来、排卵と思われるイザナミの死が、出産直前に書かれている。
 この不自然さは、出産直前に亡くなったミヤズヒメのことを発生学の中に埋め込んだために生じたと思われる。

 イザナミの死に、イザナキは香久山のふもとで泣いている。この香久山もひとつのキーワードだ。
 天岩戸の祭りの際、神々は色々なものを準備する。その中には『天のハハカ(朱桜)』や『五百津真賢木(常緑樹)』など、香久山で調達されたものがたくさん ある。
 生まれたのが「カグツチ」というのも、香久山との関係を示唆しているだろう。
 カグツチ、香久山は、かぐや姫にもつながる。

 カグツチの誕生も、香久山で泣いたイザナキも、天の岩戸も、かぐや姫も、ミヤズヒメの死を表している。

 香久山には赤い埴土があったという。赤土といえば、三輪山伝説で床にまいたのも赤土だ。
 赤土やカグツチは、子宮を開けたことを表していると思われる。

 イザナミが生んだカグツチは、火の神とされる。
 アシハラノシコオが穴から出てくる前に火に包まれていたり、コノハナノサクヤビメが火に包まれて出産したり、子どもの誕生と火に包まれる表現の組み合わせはいくつか見られる。
 子どもを取り出したあと、おそらくミヤズヒメは火葬されたのだろう。


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