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古事記コラム④十二支考

※古事記を考察しながら思いついたことなどをいろいろと書いていきます。検証不十分、想像多め。

 日向から大和へ。一般では神武天皇が、私の考察では波延が行ったことになるが、なぜ目的地は大和だったのだろうか。
 この疑問を解くために考えたのが、この十二支についての説だ。

 日本には、十二支になぞらえた知識や技術と、それらを土台にした七つの国があったのではないだろうか
 この説に合わせて私が考えた①知識・技術、②国・地域と、そう考えた理由を書いていく。(理由と言っても推測の種程度だが…)

1・ねずみ
   ①発生学
   ②宮津湾(籠神社)から伊勢へ
 ねずみは十二支で『子』で表されるので、子についての知識、発生学。宮津湾は子宮に、天橋立は卵管に見立てられる。

2・うし
   ①農業
   ②丹波
 ヒバスヒメの父「丹波比古多々須美知能宇斯王(タンバヒコ タタスミチノ ウシ王)」から、丹波と牛を結び付けた。丹波は田んぼにも通じるので、農業の神と推測した。

3・とら
   ①建築
   ②宗像から諏訪へ
 タケミナカタが諏訪に退いたが、諏訪には御柱祭があるので、宗像を建築と推測。木目のことを虎杢と呼んだりするようなので、虎とのつながりもある。

4・うさぎ
   ①歴算天文
   ②宇佐
 兎はそのまま宇佐。兎と言えば月。月と言えば暦・天文。(月読との関係は後述する。)

5・たつ
6・へび
   ①医・薬
   ②出雲
 「5・6=いつ・む」からいづも(出雲)。出雲の龍蛇神。大国主の薬の知識から、医薬と推測。

7・うま
   ①軍事
   ②大和
 「やまと=矢+的」。端午の節句など、馬には武士のイメージがある。

8・ひつじ
   ①機織り
   ②八幡(日向)
 「8+機織り」で八幡。

 もちろん、どこまでいっても想像の域を出ない。
 だが、宮津、丹波、宗像、宇佐、出雲、大和、八幡といえば、古代に国がありそうな場所だ。
 そして、自説の古事記考察的にも、『オキ』と『十市』の治安をよくする目的のためには大和の軍事的知識が必要だったと考えられ、矛盾はない。

 仮に、こんな七国がもともとあったとすると、次のような推測ができる。

 八幡は、機織り物の交易のために『オキ』、『十市』の治安をよくしたかった。そのために、大和の軍事の知識が必要だと考えた。
 八幡は、大和に交渉するとともに、出雲に集まった各地の神々に新国を作ることを相談した。
 出雲の神は、同じ九州にある宇佐と宗像の意見を聞いた。宇佐はすぐに了承した。
 宗像は力自慢の大工たちだったから、相撲で力比べをしたのかもしれない。しかし、すでに戦いは力ではなく、鉄器の時代だ。宗像は諏訪に移動することを了承した。
 こうして宗像の国があった場所に、新たに奴国が作られることになった。これが最初の国譲りだ。作られた奴国とは「七の国」、軍事の大倭の国だ。

 その後、自説の古事記考察のように、八幡と大和から大倭の血筋が作られ、大倭によって三国が作られた。
 三国といっても、アマテラス国はほぼ奴国だったのだろう。残る二つが国として作られた。

9・さる
   ①石工
   ②ツクヨミ国
 宇佐の神功皇后が行ったのでツクヨミ国となった。待っていたのが猿田彦。

10・とり
   ①金属
   ②スサノオ国
 治めたのが十拳剣。案内したのが八咫烏。

 因幡の白兎で、「海を渡った兎」というのは宇佐の神功皇后のことだろう。ワニの数を数えていたというのも、数に強い宇佐を表しているのかもしれない。
 うさぎは、八上姫と結婚するのは大国主だと告げる。神功皇后の子孫である二十五代天皇が、自分には三国の統治たる血筋はないと告げ、手白香皇女と結婚する正当な血筋は継体天皇だと告げたのだろう。
 その継体天皇が、「遅れてやってきた大国主」と考えられる。

 突飛な説のように思うかもしれないが、キトラ古墳の壁画には、十二支が人物像として描かれている。十二支に何らかの意味がある可能性はあるのではないだろうか。

 ちなみに、十二支の残りふたつの動物が表す知識・技術についてはよくわからない。いのししは皮革職人あたりと考えるが、犬はなんだろうか。

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