古事記考察①『欠史八代』は歴史のかさ増しではない
※こちらの古事記考察は独自解釈になります。
日本の天皇は千年以上もその血筋を維持しているが、その継続は第一歩目から解明されていない。それどころか、いなかったのではないかとまで言われている。それが、二代から九代の『欠史八代』と呼ばれる天皇である。
私は古事記の考察を始めてから色々な解釈を試みたが、その結果わかったのは、古事記を理解することは古代の天皇の血筋を理解することだった、ということだ。
その天皇の起源と言えるのが『欠史八代』である。まずはこの『欠史八代』を解釈していく。初代・神武天皇については後に回す。
『欠史八代』に限ったことではないが、血筋の解釈において鍵となるのが次の仮説だ。
・女性は土地を移動しない。
それほど突飛な説でもないので、大きな異論はないだろう。だが、思った以上にこの条件が効いてくる。というのも、子どもは母の元に生まれ、育つからだ。
では、古事記に書き残された血筋を順に辿っていく。天皇は順番が分かるように何代天皇と書くことにする。
まず、二代天皇は「師木県主の祖、河俣毘売」を娶っている。この河俣毘売の兄が、「波延」であり、三代天皇は波延の娘を娶っている。
つまり、二代天皇は波延の妹を娶り、三代天皇は波延の娘を娶っているのだ。
ここでさらに仮説を加えたい。次の二つだ。
・二代天皇は大和に、波延は日向にいた。
・波延は二代天皇の妹を娶り、娘を得た。
このふたつの仮説によって、人の動きとその意味が見えてくる。
まず日向の波延が大和へ行き、二代天皇の妹を娶り、娘を得た。女性は移動しないから、二代天皇の妹、波延の娘はどちらも大和にいることになる。
次に二代天皇が大和から日向に行き、波延の妹、河俣毘売を娶った。女性は移動しないので、三代天皇は日向で生まれる。
河俣毘売が師木県主の祖と言われ、三代天皇が師木津日子とされていることから、日向には新たに師木の血筋が作られたと考えられる。
日向で生まれた三代天皇は、大和に行き、波延の娘を娶る。三人の男子が生まれるが、ひとりは師木津日子として師木を継ぎ、ひとりは四代天皇・大倭日子として大倭の血筋を作っている。
『大倭』の名は、四代天皇の『大倭日子』、六代天皇の『大倭帯日子』、七代、八代天皇の『大倭根子日子』として引き継がれていく。
このことから、波延と二代天皇の目的は、大倭の血筋を作ることだったと推測できる。
さて、つづいて四代天皇が娶った女性は「師木県主の祖、賦登麻和訶比売命」である。大和で生まれた四代天皇が、再び日向へ行き、師木家の女性を娶ったことになる。
すでに大倭の血筋は作れたのに、なぜ再び師木家の女性を娶ったのだろうか。
おそらく日向は大和の知識を必要としていたのだろう。
四代天皇は大和で生まれ育った天皇である。その四代天皇が日向に来ることで、大和の教育・知識を日向に持ち込むことができる。
大和で教育された四代天皇が、日向で五代天皇を育てる。これでようやく日向の目的のために動き出す準備が整ったことになる。
大和の知識を持って、日向の目的のために動き出す五代天皇・御真津日子は、新たな婚姻をする。
【続く】