古事記考察④黄泉の国と葦原の中つ国
※こちらの古事記考察は独自解釈になります。
≪ここまでの流れ≫
二代から四代の天皇が大倭の血筋を作り、五代から七代の天皇が【オキ】と【十市】を治めるために婚姻をした。(【オキ】と【十市】は仮の地名)
そこへ内色許男命が現れ、八代天皇は内色許男命とともに新たな血筋を作り、【十市】を治める約束をした。
九代天皇は、十代天皇を生す一方で、日子国意祁都命の妹と婚姻し、日子坐王を得ていた。十一代天皇は日子坐王の娘と、十四代天皇は日子坐王の末裔の娘と婚姻している。
いったい日子坐王とは何者なのか。
日子坐王を解明するヒントとなるのが古事記の神話である。ここまで欠史八代の婚姻を追ってきたが、ここから先は神話と合わせて考えていくことになる。
古事記神話には実際の出来事が物語の形で書き残されている。といっても、視点や切り取り方がそれぞれの物語で異なっていて、単純な時系列ではない。
それが解読を難しくするのだが、逆に、同じことを記していると気がつけば大きなヒントになる。複数の記述から総合的に事実を想像することができるのだ。
七代天皇は【十市】へ行き細比売命を娶ったが、細比売命は亡くなってしまった。これはイザナミの死と言えるだろう。黄泉の国の話は細比売命が亡くなった後の【十市】の話である。
そしてこの話は、葦原の中つ国の話としても語られる。だがこの二つの話では視点が少し違う。
黄泉の国の話では、亡くなったイザナミを見たイザナキは逃げ出した。
逃げながらも、山葡萄、筍を植えるが、そこへ軍がやってきて十拳剣を振るう。そのイザナキを助けたのが三つの桃の実だった。
これまでの解釈と合わせると、軍が内色許男命だったと考えられる。
三つの桃の実とは、七代天皇の三人の子だ。ひとり目は八代天皇、内色許男命と交渉した。ふたり目はヤマトトモモソビメ命、内色許男命と婚姻した。三人目はおそらく大吉備津日子命、彼は十拳剣を振って戦ったのではないだろうか。
ここに葦原の中つ国の話を重ねると、黄泉の国の話からだけでは分からなかったことが見えてくる。
葦原の中つ国の話では、平定に行こうとしたアメノオシホミミが「葦原の中つ国はひどく騒がしい」と言って戻ってくる。
このオシホミミが七代天皇、黄泉の国では逃げたイザナキだ。
七代天皇は【十市】から戻ってきて、【オキ】にいた天押帯日子命や六代天皇に相談した。
アマテラスたちは、アメノホヒとアメノワカヒコを葦原の中つ国に向かわせる。
天押帯日子命は一族の者を向かわせることにした。『アメノ』とつくのは天押帯日子命の一族、言うなれば『アメ』一族を表している。七代天皇も天押帯日子命の娘の子であるからアメノオシホミミとなっている。
黄泉の国の話では、逃げながらイザナキが植えた山葡萄、筍がアメノホヒとアメノワカヒコを表している。ふたりは【十市】の生活環境を整えるために山葡萄や筍を植えたのだろう。
アメノワカヒコは弓矢で亡くなってしまい、アヂシキタカヒコネが葬儀にやってくる。
アメノワカヒコの死は内色許男命軍との戦いによるものだろう。アヂシキタカヒコネは十拳剣をもっているのでおそらく大吉備津日子命だ。軍に追われて十拳剣を振り回す黄泉の国と同じ流れだ。
このあと、黄泉の国の話では、七代天皇の三人の子が内色許男命と交渉した話になるが、葦原の中つ国の話では違っている。
タケミカヅチが「葦原の中つ国は我が御子が治める国である」というアマテラスの主張を伝えにいく。
天押帯日子命と七代天皇の間には、『国作りに協力する代わりに、その国は『アメ』一族の娘の子に治めさせる』という約束があったのではないだろうか。
日子坐王は、九代天皇が「日子国意祁都命」の妹・「意祁都比売命」を娶って生まれた子である。
「日子国意祁都(ヒコクニオケツ)命」、「意祁都比売(オケツヒメ)命」の名前につく『オケ』は、天押帯日子命がいる【オキ】の国のことだろう。つまり、九代天皇が【オキ】の国の『アメ』一族の娘を娶って生まれたのが日子坐王ということになる。
だから天押帯日子命側の主張では、【十市】の国を治めるのは日子坐王なのだ。
ふたつの神話から分かることは、【十市】の国ひとつにふたつの約束をしてしまったということだ。
七代天皇と天押帯日子命は、国作りを手伝う代わりに『アメ』一族の娘の子が【十市】を治めると約束していた。
八代天皇と内色許男命は、戦いをやめ、ともに【十市】を治めようと約束した。
このふたつの約束を守るために、七代天皇は【十市】をふたつの国に分けることにした。片方は内色許男命とともに治める国、もう一方は日子坐王が治める国だ。
つまり、国譲りとは、【十市】の国の半分を日子坐王に譲る話なのだ。
国譲りの際に大国主は二人の子に相談している。この二人とは、七代天皇の子、八代天皇と大吉備津日子命だろう。
また、タケミカヅチが持っていた十拳剣は、【十市】の国を治める者の証として、大吉備津日子命から日子坐王に渡されたものと考えられる。
こうして【十市】にはふたつの国ができた。ひとつは大毘古命が治め、ひとつは日子坐王が治める国だ。
十代天皇が大毘古命の娘を娶り、十一代天皇が日子坐王の娘を娶ったのは、この二つの国と姻戚関係を結ぶためだったということになる。
【続く】