保育園時代の送迎
ぽこねんさんの雨の帰り道の話を読んで、保育園時代の送迎のあれこれを思い出した。
保育園に行く前は、働く実績作りのために、マンションの一室でやっている託児所に預けていた。
片道30分。息も辛いような海風の強い中、2歳の子をベビーカーに乗せて運ぶ。
子供がその間、辛くないように、私はありとあらゆる歌を歌いながら道中を過ごしていた。
後に福岡の求人情報誌「あぱぱ」で子育て再就職エッセイを連載するんだけど、このときの話を編集者さんがとても気に入ってくれて、そういう話をお願いしますといって連載してた。その話は下記。
そして保育園時代――。
うちは車は旦那が使っていたので、私が子どもを歩いて保育園に送迎していたんだけど、大体みんなセカンドカーを持っていて、車送迎が主流だった。
うちはとてもとてもセカンドカーを持てる経済状況ではなかった。旦那は朝7時に出て夜中2時過ぎに帰るのに手取りは積み立てとかなしで、16万だったからね。同じ時間近くのコンビニで働いた方が収入いいんだけどなあと常に思っていた。
日々ワンオペな上に、貧乏という詰み。
だから、夜にライティングの仕事を始めたんだよね。
保育園は自転車も使えないような急な丘をふたつ超えたようなところにあり、歩いて30分かかる。月曜と金曜は通常のおむつとか着替えとかにくわえて、お布団まで運ばなくてはならない。
でも、雨が降ってもタクシーに乗るお金はない。
横殴りの雨のときは傘をさしてもどうしようもなくて、3歳だった娘に、
「今日は雨に濡れて帰っていい日だよ!」
と言って、風にあおられる傘は閉じ、びしょ濡れで帰ったこともある。
辛い状況だけど、自分でもイラつきたくなかったし、子どもにはもっと惨めにならないようにしたかった。娘は「やったー!」と思う存分、雨を楽しんで帰った。実際、このレベルだと辛くはない。濡れるだけで済むから。
うちのアパートは、同じ保育園に通う人が、あとふたりいて、たまたま時間があうと、よく車に乗せてもらっていた。
ありがたい話だ。
他でも、途中で私たちを見つけると、乗せてくれる保護者の方がよくいた。その節は大変お世話になりました。
みんなに助けられて、保育園時代を乗り切った感じがする。
ここまでなら、いい話で終わるんだけど、違う。
この話を妹にすると、「なんて迷惑な親子だろう」と批難された。
知り合いの親子がいれば乗せないわけにはいかない。存在自体が迷惑だというわけだ。
「そんな親子のいるところに住んでなくて、あ~良かった」と言われた。
うちの家は妹も母親も大体、いつもこんな感じ~。
びっくりするくらいの悪口を言われる。
私の存在自体に対する否定につぐ否定にも慣れているので、むしろ、
「その視点はなかった!!」
と膝をうった!
こういう家で育つと、「世間って優しい~」ってなるよ。でも、おかげで家に戻りたくなくて、働かない旦那でもなかなか離婚できなかったりするんだけどね。
行くも地獄、戻るも地獄! だから自分に経済力をつけたんだよ!
とりあえず、妹から存在否定にあったので、なるべく見つからないように登園してたりしました。わざわざ他が出発するのを待って、家から出て、保育園までダッシュしたりね。
子供は「行こうよ~」せがむだけど、もうちょっと待ってねって。それで急がせるのだから、むしろ雨に濡れるよりもこっちが気分的に惨めだった。
でも、それも間もなく終わる。
旦那が会社のお金を盗んだとして(盗んでない。部下に取られたんだろうね。管理甘いから)懲戒解雇になって、送迎が私じゃなくなったから。
そして、ここからもっとひどい話が始まる――。
冒頭のぽこねんさんの記事はこちら!
今回衝撃的だったのが「九州だから」で始まるくだり。
そこが話の肝じゃないんだけど、ごめん、私はこの一点に釘付けだった。
これを読んだ人の意見が私のまわりでまっぷたつに別れる。男と女でね。そりゃあ、もうびっくりするくらいに、男の見る九州と女の見る九州は違うよ。
だって横浜から一時福岡に住んでいた友達も同じこと言って、横浜に戻っていった。
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