うつ病のわたし占い師になる〜8個目:リウマチとわたし〜
前回は今までと違う感じの投稿をした。
正直、評判はすこぶる低い。
でも自分的には満足している。
しょうもないことで、ウジウジしているわたしが表現できたからだ。
これが正真正銘のわたしなので、それを出せたのは素晴らしい事だと自画自賛できている。
もし興味がある方がいたらぜひ読んでみて!
内容が全然ないから!!
今回はリウマチついて書く。
ちなみに、以前は世間的にも病院でも「慢性関節リウマチ」って言ってたけど、
なんか知らない間に「リウマチ」って言う事になったらしいので
ここでも時期とか関係なく、リウマチで統一します。
投稿4個目で持病のリウマチの話をチラッとしたのでもしよろしければご覧ください。
さて、
約25年前の23歳の時にリウマチになった。
その頃は仕事も遊びもバリバリやっていた。
毎日夜の9時まで残業し、土日は遊びに行ったり、夜遊びもした。
仕事も遊びも楽しくて楽しくて、ものすごい充実した日々を送ってた。
でも、ある時から、右肩や左肩が痛くなることがあった。
痛みで吊革が持てないぐらい。
痛みは両方同時に出ることはなかった。
ある日は右肩が3日ぐらい痛くて、また別の日に左肩が痛む、みたいな。
特に気にしてはいなかった。
だけど、体がしんどくなる日が多くなってきた。
仕事が終わって更衣室で倒れるように寝転がっていることもあったし、
歩くのも辛くて職場からタクシーで帰ることもあった。
そして朝起きると手の指が硬くなって痛みも伴い動かしにくくなるようになった。
そんな状態でも、仕事をセーブしようとか病気を疑うとかはなかった。
これまで、小中高で体調が悪くて休んだ日なんて1日もないぐらい健康だったし
仕事が楽しいし、自分より遥かに高学歴の同期や後輩に負けたくなかったから、
必死で仕事にしがみついていた。
体調が悪いことを考えないようにしていた。
だけど、離れて暮らしていた両親がわたしの異変をすごーーーく心配して、
病院にいくように強く勧められた。
結局、父の勧めで大阪の北野病院へ診察に行った。
その時は「仕方ないなー」って感じだった。
血液検査を受けて、診察前の待合室で待っている時、
リウマチのポスターが目に入った。
「世の中には大変な病気があるんだなー」と思った。
リウマチなんてお年寄りがなる病気だと思っていたから、完全に人ごとだった。
診察室に呼ばれた。
何だろう、この重苦しい空気。
先生は、神妙な面持ちで静かにわたしがリウマチであることを告げた。
リウマチなんて、なんとなくしか知らない。
「さっきポスターで見たやつだ」とぼんやりと思った。
だけど、先生の表情やこちらの様子を伺うようなそぶりを見て
「これはもしかして大変な病気なのかもしれない」と勘付いた。
その時に先生のおっしゃったことは、ほとんど覚えていない。
ただ、あの重苦しい空気感だけは妙に覚えている。
リウマチのお薬と抗炎症剤を処方され、治療が始まった。
しかし、そこからは症状の出方が激しかった。
さてここで、リウマチという病気を簡単に説明しておく。
リウマチは自己免疫疾患である。
白血球が何を勘違いしてか自分の体の関節を攻撃して炎症を起こす病気だ。
関節は熱を持ち、腫れて激しい痛みを伴う。
また、炎症を起こすので全身に強い倦怠感をもたらす。
病気が進行すると、体中の関節が壊れてしまい、寝たきりになる場合もある。
ただ、今は、かなりいいお薬が開発されたので、
関節が壊れてしまうほど進行することはあまりないと聞く。
あと、リウマチになる原因は未だはっきりとは解明されていない。
だけど、研究がかなり進んでいる病気ではある。
25年前のわたしの話に戻す。
リウマチの症状は転がり落ちるように悪化していった。
この頃の記憶は(いつもそうだけど)曖昧だ。
結局仕事を辞めることになり、一人暮らししていた寮をでて
両親が住む大阪に移り住んだ。
それから3ヶ月ぐらいはリウマチの症状が最も強く出た時期だった。
まさに寝たきりだった。
体中の関節が激しく痛む。
歩くことは愚か、箸も持てない、携帯電話のボタンも押せない、寝返りも打てない。
体は妙に冷えるが、布団の重みで関節が痛むので、軽い毛布だけをかけて部屋を暖房でとにかく温めた。
しかし部屋の温度が上がりすぎて、今度は頭がぼーっとして気分が悪くなる。
暖房を調整しようにも、体を起こすのも痛いし、ボタンも痛くて押せない。
強い痛み、倦怠感、気分の悪さをただただ耐えるしかなかった。
もっとも、思考もあまり働かなかったので、それほど辛くなかったかも。
(とはいえ2度と経験はしたくないけど)
そして、リウマチという病気がわかってくると将来の不安も出てきた。
勉強をしていくと「寝たきり」という言葉を目にするようになった。
指の関節が変形してしまった写真なども何枚も見た。
ちなみに、大事なことだから繰り返すけど、
今はいいお薬が出ている。
わたしがリウマチになった25年前とはだいぶ事情が異なる。
今、リウマチと診断されてこれを見ている人もいるかもしれない。
学ぶことは必要だけど、必要以上に恐れることはない。
ついでに書いておくと、
情報はできるだけ正しいところから得た方がいい。
インターネットは特に注意が必要。
住所や名前、連絡先が明確に記載されている病院等の情報ならまだマシ。
健康サイトなどはあまり信用しないほうがいいかもしれない。
1番の情報源は、あなたの検査結果と、主治医の言うことだ。
これは絶対にそう!
あなたの検査結果や病状、現状を知らないのであれば
相手がどんな権威のある有名な名医だとしても言うことを聞かなくてもいい。
あなたの目の前にいる主治医が大事。
主治医とソリが合わないのであれば、主治医や病院を変えよう。
リハビリの先生、リウマチ患者の言うことも正しいとはかぎらない。
もちろん、わたしも正しい情報を発信しているとは限らない。
そこをとにかく注意してほしい。
リウマチは確かに長い付き合いとなる病気だ。
だけど、あなたの体や生活に合った正しい治療を行えば、
穏やかに過ごしていける病気なのだから。
話をだいぶ戻す。
25年前の当時は、関節が変形して日常生活が送りにくくなったり、
寝たきりになる人は珍しくなかった(ようだ)。
それを知った時、わたしはものすごく怖くなってしまった。
わたしも寝たきりになるのだろうか?
最初にリウマチだと診断された北野病院で、
診察の際に関節(特に指などの小さい関節)を触診で丁寧に診断された。
その時に、右手の第一関節の小指について指摘された。
自分ではあまり気にしていなかったけど、
関節は1.5倍ぐらいに腫れて、曲げにくくなっていたのだ。
全ての指が、この小指の関節のように炎症を起こし、
変形して、最後には寝たきりになるのではないか。
痛みも辛かったけど、その恐怖の方がよほど辛かった。
しかし、ある時を境に、今度はどんどん病状は改善されていった。
半年後の4月ごろには、ほぼ普通の生活が送れるようになり、
父の経営するちっこい工場に事務員として働きながら
夜間大学に通うまでになった。
ちなみに、この病状が改善されていた時期は、
西洋医学とともに、自然療法にもハマっていた。
無添加の食品、無農薬有機栽培の野菜、民間療法を積極的に取り入れていた。
いわゆるロハスな生活だ。
その後、西洋医学での治療を辞めて、鍼治療など東洋医学を中心とした。
最初こそロハスな生活で病状は改善されているように見えた。
だけど、リウマチは確実に悪化の一途を辿った。
しかし、ロハスにすっかりハマり西洋医学に疑問を感じていたので
ケミカルな薬剤を使う投薬治療などを行うことはなかった。
病状はゆっくりとしかし確実に進行。
そのうち右膝の関節が壊れて、杖なしで歩行することが困難となった。
その頃から、(今思えば鬱の症状だったのだろう)治療そのものを受けなくなった。
生きることそのものが嫌になって、投げやりになっていたのだ。
一切の治療を受け付けず、家に閉じこもる日々。
わたしの引きこもりニートの時代だ。
(引きこもりニートについては5個目の記事を読んでね)
家族はそんなわたしをずっと心配していた。
親戚から家族の友人まで、わたしを説得しに家まで訪れてくれた。
でも、心まで引きこもりになっていたわたしは、
誰の言葉にも動かなかった。
しかし、どういうきっかけか忘れたが、
数年後に母の言葉を受け入れるようになった。
母の新しくできた友人がリウマチで、
兵庫県にいいリウマチの先生がいるから、診察を受けないか?と言うのだ。
なぜかわからないけど、心が動いた。
わたしには珍しく、何日も何日も考えた。
そして決断をした。
お母さんに診察に行くと言う時は、めちゃくちゃ緊張したのを覚えている。
もちろん母は喜んでくれて、すぐに診察の予約をした。
そこから再び西洋医学(投薬)での治療が再開された。
病状がある程度落ち着くと、壊れてしまった右膝の関節に人工関節を入れる話が進んだ。
兵庫県の病院から大阪の病院に紹介状を出してもらって、ここに通うことになった。
ここはリウマチ科と整形外科が連携をとっていて、
リウマチによる人工関節の手術の実績が多い病院でもあった。
この病院では、リウマチ科と整形外科にかかったのだか、
どちらの先生も素晴らしい先生だった。
人工関節を入れる手術のため入院した時も、
看護師さん、掃除のおばさん、リハビリの先生方、臨床心理士さん、
全てが素晴らしい方々で、
わたしは人と接することが多くなり
病気にも前向きに取り組めるようになっていった。
今もわたしは西洋医学の病院に通院し、投薬治療を行なっている。
病状をほぼ問題なくコントロールできている状態で
今の治療方法に大変満足している。
民間療法については、またいずれ書くことがあるかもしれない。
ただ、わたしには合わなかった。
体にも心にも合わなかった。
確かに、民間療法を始めた時、リウマチは良好に向かった。
だけどそれは、民間療法が良かったのではなく、
西洋医学の薬がちょうど効いてきたタイミングだったのだろう、と今は思う。
人によって、合う治療、合わない治療はある。
西洋医学も、東洋医学も、民間療法もやってきたから
それぞれの良いところ、悪いところを知っている。
その上で、わたしは西洋医学を選んだ。
そんなわたしが気をつけていることは、
他人に容易に健康に関するアドバイスはしない、ということだ。
患者本人は、いろんな経験を経て今がある。
悩んで考えて調べて、結果、今があるのだ。
また、
何が合ってて、何が正しいかだなんて、誰にもわからないと思っている。
体に起きることに責任を取らないといけないのは、患者本人だ。
患者自らが考えて責任を取らなくてはならないようになっているのだ。
だから、その人から求められたら、アドバイスをするが、
その人が迷ったりネガティブになる可能性があるので、
わたし自らアドバイスを進んでやることはない。
あと、もう一度大事なので書く。
情報は精査した方がいい。
わたしの情報だって疑った方がいい。
リウマチと診断されてこれを読んでくれている人もいるかもしれない。
痛いみや恐怖で辛いもしれないけど、どうか諦めないで。
月並みな言い方だけど、本当に、明けない夜はないのだ。
助けてくれる人をたくさん作っておこう。
話を聞いてくれる人をたくさん作っておこう。
バカなことで笑えるものをたくさん作っておこう。
無駄なことなんて何もない。
息をしているだけで、頑張ってるよ!!!
あなたはあなたの知らないうちに誰かの希望になているんだから。
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詳しくはHPに記載予定!
HPができるまで待っててね⭐︎彡
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