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魔物

「よーし、帰りのホームルーム始めるぞー。」
教壇で喋っているのは担任の高橋先生だ。いつも通りのホームルームの時間。皆学校の終わりで、少し浮足だっているようだった。
「この後どうする?」
「今日部活なんだよなぁ、めんど。」
「ほらぁ、騒いでるといつまでたっても終わらないぞー。」
はーいと気だるそうに返事をするクラスメイト達。これもいつも通りの光景だ。何事もない光景。こういう時、いつも僕はムズムズする。
別にトイレに行きたいわけじゃない。そしてこの光景に不満があるわけでもない。ただこう考えてしまうのだ。

もしこの光景を壊したらどうなるのか。

壊すのなんて簡単だ。いきなり奇声を上げて暴れればいい。隣の席の子を殴っても壊せる。僕はそれを考え出すとムズムズしてしまうのだ。
ただそれだけではなくて、その壊すのがどれだけ罪深いことかもわかっている。
もし壊したら学校では大騒ぎになって、うちの両親にもクラスメイトにも学校にも迷惑がかかる。隣の席の子を殴ったら、その子は痛いだろうし、下手をしたらもう学校に来られなくなってしまうかもしれない。
それにこの何事もない日常がどれ程幸せなことなのかも、わかっているつもりだ。
ただ突拍子もなくこういう衝動に駆られてしまうことが、僕にとっては日常茶飯事なのだ。

後ろの席のクラスメイトが、ちょんちょんと僕の背中をつついた。
「よっちん、おいよっちん。」
ひそひそ声で話しかけてくるのは、友達の山中だった。
「なに?」
「この後ゲーセンいかね?新しい筐体入ったらしいんだよ。」
「ごめん、今日ちょっと調子が悪くて…。今日はまっすぐ帰るね。」
「マジかー。まぁしょうがない。また明日にでも行こうぜ。」
ごめんねともう一度言うと僕はまた前を向く。
本当は調子が悪いんじゃない。こういう衝動に駆られる日は、それが悪い事だ、でもいても立ってもいられない、いやそれでもと、頭の中がごちゃごちゃしてしまって、誰かと一緒に居られないのだ。
僕は頭がおかしいのかもしれない。
一回、山中にそれとなく相談してみた。勿論、具体例を挙げて話すのは気が引けるから、本当にそれとなく聞いてみたのだ。
その時山中は、そんなことなんて誰にでもあると言っていた。そういうことを「魔が差す」と言うんだとも教えてくれた。
帰ってネットで調べてみると、魔が差すというのは魔物が入り込むというところからそう言うらしかった。僕には魔物が入りこんでいるのかもしれない。いや、もしかしたら僕は魔物それ自体なのかもしれない。
家族も友達も、死んだじいちゃんも、僕のことを優しい子だと言ってくれたけど、僕は時折魔物になってしまうんだ。

ホームルームが終わって、一人帰路につく。
夕飯のあと自室で過ごす時のために、コンビニで飲み物とお菓子を買っていくことにした。
「いらっしゃいませー。」
店内は珍しく人がそんなにいなくて、レジの店員さんもやることを全て終えてしまったのか、暇そうに立っていた。
飲み物はいつものスポーツドリンク、お菓子は今日はポテチにしようと、ポテチの売っている棚の前にきた。

もしこのお菓子を鞄の中に入れたら?

まただ。また衝動に駆られいている。
落ち着け、お金は十分にあるじゃないか。わざわざ盗まなくても普通に買えばいい。暫し、その棚の前で立ち尽くしてしまった。
どうする、どうする。いやどうするなんて考える必要もない。普通に買えばいいだけの話だ。しかし、でも…。
「大丈夫かい?」
「えっ…。」
ハッとした。どうやら他のお客さんのおばあさんに声をかけられていたようだった。
「坊や顔色が悪いけど、どこか具合が悪いのかい?」
「あ、いえ…大丈夫です。」
「そうかい。コレ上げるから元気だしな。」
そういうとおばあさんは手に提げていた小さなバックから飴玉を一つくれた。
僕はお礼を言うと、小走りに飲み物とお菓子を手にレジに向かった。

(今日は調子がよくないのかもな…早く帰ろう…。)
大きな道路に面した通りの反対側。そこに僕の家はある。
歩道橋を上って、少し憂鬱な気分で歩いていた。毎日ではないが、こういう衝動に駆られる日がちょくちょくある。正直、そういう日はまいってしまう。
その衝動を抑えるのと、その衝動に駆られてしまった葛藤で、へとへとになってしまうのだ。そういう日は早く帰るのが一番だ。家に帰って、部屋に居ればそういう衝動に駆られることもほぼない。
とぼとぼと歩道橋を歩いていると、反対側の階段の上に人が立っているのが見えた。重そうな荷物を抱えたおばあさんが、まさに今階段を降りようとしているのだ。
僕はまた衝動に駆られていた。
だめだ。待て。その衝動はだめだ。

あのおばあさんの背中を押したらどうなるのか。

人の命がかかっている衝動だ。絶対にやってはいけない。
僕は一歩ずつそのおばあさんに近づいていった。
やめろ、止まれ、それは取返しのつかないことになる。
僕の足は止まらない。どんどんおばあさんに近づいていく。

「あの…もしよければ荷物持ちしましょうか?」

僕はおばあさんに近づいてそう声をかけた。僕は衝動を抑え、そうおばあさんに声をかけたのだった。
「え?あぁ、坊やさっきの。すまないねぇ。」
どうやら声をかけたおばあさんはさっきコンビニで飴をくれたおばあさんのようだった。コンビニでは気が気でなかったので、あまり覚えていなかった。
僕はおばあさんの抱えていた荷物を持って、おばあさんと階段を降りた。
「いやぁ助かったわ。もう歳でしょう?こういう大荷物を持って歩くのは骨が折れるのよ。」
「そうですか。…そしたら僕はこれで。」
「ちょっと待って。」
「えっ。」
おばあさんに呼び止められるなんて想像もしてなかったから少しびっくりしてしまった。
「あなたさっき、万引きしようとしてたでしょう?」
僕の心臓は止まりそうになった。

少し話さない?
そういわれて近くの公園でおばあさんと並んでベンチに座った。
僕は警察に突き出されるのだろうか。でも僕は寸前で何もしなかったし、警察に突き出されることはないはずだ。何だか頭がぐるぐるしてしまっている。
「私も昔ねぇ。万引きしようとしたことがあったの。」
僕はその言葉を聞いて、どう反応すればいいのかわからなかった。相槌を打つ?驚いて見せる?そのどれも違うような気がした。
「お金に困ってたわけじゃないのよ?ただその時どうしようもなくそうしたくなってしまってね。魔が差したのよ。」
「そうなん…ですか。」
今の僕と全く同じだ。僕はコンビニでのことを思い出して胸が苦しくなってしまった。
「そういうことが昔はよくあったのよ?だからあなたの気持ちは痛いほどよくわかるわ。」
僕は下を向いてしまった。頭はまだぐるぐるしたままで、今度はそれに加えて悲しくなってきてしまった。
「辛かったわねぇ。」
そういうとおばあさんは優しい手つきで僕の頭を撫でてくれた。
ぽろぽろと涙がこぼれてきた。その涙はどんどん大粒になっていって、僕は泣きじゃくってしまっていた。
「だめなことだって…わかってるのに…でもどうしようもなくなっちゃって…もう僕はどうしたらいいかわからないんです。」
僕はおばあさんに縋りつくように泣いた。もう周りのことなんてどうでもよくて、ただただ泣き続けた。
「私も昔は辛かったわ。でもね。今は平気よ。」
「どうして…おばあさんは平気になったんですか?」
「大切なものが沢山できたの。」
「大切なもの?」
僕はおばあさんの顔を見上げた。
「そう大切なもの。子供や夫や友達や、幸せな生活や毎日。それが出来てからは平気になったわ。」
おばあさんは夕日を眩し気に、どこか遠くを見る目で眺めていた。
「そういう大切なものが私をそういうものから守ってくれたの。そういう大切なものが私を止めてくれたの。」
おばあさんはまた僕の頭を撫でてくれた。
「だからあなたも沢山大切なものを作りなさい。そうすればきっとあなたを守ってくれますよ。」

そのあと少しの間おばあさんと話をした。どうしても魔が差すこと。そのたびに葛藤してしまうこと。おばあさんの大切なもののこと。おばあさんの過去。
おばあさんは僕の話を聞く時はうんうんと優しい笑顔で聞いてくれた。それからおばあさんにお礼を言って、近くにある家まで送っていってあげた。
どうやら僕の家の数軒先のご近所さんだったようだ。

「ただいま。」
「おかえり~。夕飯出来てるわよ。」
家に帰ると母さんが迎えてくれた。
僕は2階に続く階段を駆け上ろうとして、途中でとまった。
「あ、母さん。」
「なあに?」
「…ありがとう。」
そういって僕は階段を上がっていった。
「変な子ねぇ。」
そういうと母さんはふふっと笑った。

僕には魔物が入り込むことがある。それはいつ何時入りこむかわからない。
でもこれからは、何とかなるかもしれない。
僕にも大切なものがあるからだ。友達の山中や、母さんや父さん、それに妹の葵。
ご近所のおばあさんも、これからきっと大切なものになるだろう。
これからはその大事なものが僕を守ってくれると、僕はそう信じてる。

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