お酒を飲みながら…
最近ワインをよく飲む。
よく飲むと言っても上等なワインに舌鼓を打つわけではなくて、スーパーで300円くらいで買えるワインをグイっと飲む程度のものだ。
美味しいワインは昔味わったことがあるが、一杯1800円もする今の私にとってはとても手が伸びない高いワインだった。
高かろうが安かろうがワインを2、3杯飲めば酔うことは出来る。今はそれで充分だ。
今回でエッセイを書くのは3度目になるがそのうちの2回は酒に酔った勢いで書いている。どうにもエッセイを書くのにはまだ少し抵抗があるので、酒で勢いをつけて書いている節もある。
どうにも素面で書くと、果たして私はまた自分の文章に酔って書いているのではないかとか、なんだか大仰過ぎてこっぱずかしいとか、そういうことを考えてしまうのだ。
他の方のエッセイを見ると、日々の日常の中から色んなことを感じ取って、色んな面からそれらを捉えていて、とてもとても私なんかでは敵わないなぁと常々思う。
また、シナリオライターで第一線で活躍されている方の話を聞いたのだが、日常で出会うことを深堀しているそうだ。その熱量と深さは尋常ならざるものだった。
そういった感じ取る力も深めていく力も中途半端な私にとっては、まだ天の上のことにしか思えない。勿論今のままで終えるつもりはないが、まだまだ精進しなければと肝に銘じているところだ(ほんとか?)。
より良いものを書くにはそれ相応のものが必要だ、ということかもしれない。
ところがどっこい私が書く文章は、思い付き、酒の勢い、その場の勢いで書かれているものなので、そこまで深く輝くものではない。
ただそれでもいいのかもしれないと、今は思っている。
ある種、純度の高く完成度の高いものを世に出すのは、ものを書く者には目指すところではあるだろう。自分が光り輝く宝石を生み出せれば言うことはない。
しかしそれが全てかと言われれば、それもまた違う気もする。
鈍く光る宝石でもそれを気に入って、大事にしてくれる人もいる。はたまた、河原に落ちている石ころさえ味があると言って拾って帰る人さえいるのだ。
自分の書いたものを大事にしてくれる人がいる。自分の書いたものの向こう側に気に入ってくれる人がいる。
それはそれで素晴らしいことじゃないのだろうか。
勿論、文章で飯を食っていく、小遣い稼ぎをする人からしたら、お金にならないのはナンセンスだが。かくいう私もあわよくば…なんて思っているうちの一人だ。
ただ、様々な人が様々な文章を書いて、それが沢山転がっているというのも、私はいいなぁなんて思う。気が向いたらその転がっているものの一つ一つをじっくり眺めながら散策するというのも楽しそうだ。
そうして拾ったもので、お気に入りが見つかれば言うことはない。
その色んな人の色んなものが転がっていて、光り輝くものもあれば、味のあるもの、なんなら何の変哲のないものだっていい。それが沢山あって、それを手に取って眺めることが出来るところを想像すると、思わずフフッと笑ってしまうおっさんがここに居るのである。
だからこうして酒の勢いで書いている駄文でも、案外悪くないのかもなぁなんて思ってしまう。
もし今何か書いてみようかな、でも自分が書くものなんて…と思っている諸氏がいるのであれば、私はこう言いたい。
私はあなたの書くものが転がっているところが好きですよと。勿論、倫理観に反するような内容はご法度だが…。
こうして今日の夜も更けているようだ。酒はそろそろやめておこう。
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