
Photo by
snafu_2020
誘惑銀杏 #毎週ショートショートnote
今年こそ引っ越す。
そう思ってから何度目かの秋が来た。
家までの道はイチョウ並木になっている。綺麗は綺麗だがこの匂いが耐えられない。
並木道の先にある古い木造アパート。夏は暑く冬は寒い。風呂はバランス釜で家賃も1階に住む大家に今時わざわざ手渡しだ。
隙間が多いせいか秋になるとあの匂いが家の中まで入り込んでくる気がする。
やっぱり出る。今年こそ出る。
家に着き照明の紐を引く。電気もすぐに点かない。チカチカする中で上着を脱いでいるとドアを叩く音がした。ちなみにチャイムも壊れている。
扉を開けると目の前には女の子。
照明がパッと点いたのも重なって一際眩しく感じる。
「こんばんは。これ、おばあちゃんが持ってけって...」
「あぁ...どうも」
「このままレンジで1分だって。じゃあ」
大家と一緒に住む孫娘がちょっとはにかんで言った。
毎度家賃を渡しに行くので顔見知りだが、話すとお互いなんとなく気まずい。
手渡されたのは茶封筒。
言われた通りレンジに入れるとポンポンと音がする。
殻を割り、熱いうちに薄皮を剥くと翡翠の綺麗な実が顔を出した。
口に入れた瞬間、鼻腔に秋が香る。
「うま。...あぁ、また一年経っちゃったなぁ」
(492字)
いいなと思ったら応援しよう!
