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僕が思う!意見を言うと嫌われる3つの理由


こんにちは、ヒデです。

パソコンを修理に出していたので、更新が止まっていました。なんかスマホで書くのは嫌いなのでwww


今回は、なぜ意見を言うと嫌われるのかについて考えていきたいと思います。

前回は、意見の伝え方についての記事を書いたのまだ読んでない人は、ぜひ読んでみて下さい。



ズバリ!!理由はこれ!! 


基本的に自分の意見を言う人間は、嫌われます。だってそんなヤツ面倒くさいから!!



日本には「黙っとけば丸く収まるのに」という考え方がある限り、自分の意見を言う人間は「邪魔者」であり、「お荷物」です。

僕は、「黙っとけばいいのに」というところで我慢できずに口を出してしまう事が多々あり、よく上司に叱られました。



自分の意見を言うと、敵を作ります。言わずに黙っていればめっちゃ楽です。

ですが・・・・・自分の意見を言わないでまわりに合わせているだけなら、あなたに存在価値はありますか?

と自分に対して感じる事がありました。


そもそも、なぜ意見を言うと嫌われるのか??


日本の社会で大切にされているのが、「和を以って貴しとなす」という考え方です。個と個をぶつけ合うことなく、なんとなく意思決定していく例のアレです!!

だから「空気を読めない人間」は社会から邪魔者扱いされるし、「空気を読まない人間」は追放されますwww

そんな社会の風潮に嫌悪感を感じる僕が「意見を言うと嫌われる理由」について真剣に考えてみました。



1.意見を言う人間は和を乱す


一番最初に思い浮かぶのが、意見を言うと和を乱すという考え方です。

僕の場合は、意見すると以下のようなコメントがよく返ってきました。


「君がうんと言えばそれで済むから」
「とりあえずここは我慢しなさい」
「世の中納得できることばかりじゃないんだよ」
「君のために社会がまわってるわけじゃないんだ」
「人に合わせることも覚えないといけないよ」


はい、まったくもって意味不明なコメントですwww


なぜそこまで穏便に済ませたいのかが、僕にはわかりません。意見が同じになる事など稀であって、基本的に意見はすれ違うものです。すれちがったら、納得するまで話せばいいだけじゃないんですか? 

議論しないんですか?

議論しないと何事も前には進みません。そこの国、会社、学校などが一党独裁、共産主義の毛沢東、ポルポトをリスペクトしているのなら仕方ないです!! 

だって、逆らうと粛清されてしまうので!!!


妥協点は必要だけど、意見を言う=和を乱す=迷惑→嫌われるという風潮のなかでは、お互いを理解なんてできません。

和を重んじるくせに、なぜ人の意見を尊重せずに「ないもの」として扱えるんでしょう。人の意見を無視する方がよっぽど人の和を乱してませんか?


2.意見を言うことで人を傷つける


たまに「意見を言う=ひどいことを言っても許される」と思っている人がいます。

「意見を言うこと」「人を傷つける無神経な行為」と一緒にされていますが、それはちがいます。


「それはまちがえてる! 俺の言う通りにしろ!」はただの自己中だし、「俺がすべて正しい!」っていうのは、一党独裁、共産主義だし。


お前は、スターリンか!? それともポルポトか!?


「わたしはこう思う」が意見で、「だからあなたは間違えている」が批判で、「そんなんだから嫌われるんだよ」が悪口です。


そのちがいを理解してない人が多いから、意見を言うと嫌われるます。意見を言うこと自体を、「他人を傷つける行為」だと勘違いしてる人が多い気がします。

まぁ、あまり意識しないので難しいところではあるのですが。



みなさんも一度は、上司に「こっちの方が効率がいいと思います」と言ったら、「文句言う前に手を動かせ」と言われたことはありませんか? 社会人あるあるのそういうやつです。

こういう話をすると「言い方が悪いんじゃないか」って言ってくる人が現れるんですが、言い方と内容は別々に考えるべきものです。

伝え方にイチャモンをつけるのは、よっぽどの暴論じゃない限りただの揚げ足取りです。さらに言えば、この世の中にだれひとり不快にしない伝え方なんて存在しないです。



3.意見を受け入れられないから絶望する


多くの人は、自分の意見を言い慣れていないし、言われ慣れてもいないんだと思います。だから、だれかが意見を言うとこんな思考回路になっていくんだと僕は思います。


意見には賛成しないけど、反論して責任背負わされるのも嫌だな〜
頭の中はこんな感じ↓                                                                                   →だれかが反論してくれるだろう
→あれ、みんな黙ってるな。じゃあこれでいいかな
→でもやっぱり納得いかないんだよなぁ。なんであいつは、そういうこと言うんだよ
→あいつが黙ってれば丸く収まったのに
→ああ、面倒くせー。あいつってマジ本当わがままだよな


ん・・・・これは「意見を言った人が悪い」んでしょうか?

どう考えても、自分は安全なところにいて反論せずに、他人にその役割を押し付けて議論から逃げた人の方が悪くないですか?

日本でいう「話し合い」の場では、だれも責任を取らないですむ、なんとなーく空気を読みあって意思決定することが多いですね。

それなのにそのなかで空気をブチ壊して意見を言う人間がいると、迷惑なわけです。その意見を吟味して消化しなきゃいけないから、面倒くさい。だから嫌われる。かんたんなことです。

でもだから「悪者」にして、そんな人なんていなかったことにしてしまうのですwww

なんで議論嫌いな人のせいで、こっちが嫌われなきゃいけないんだろう。と僕の永遠の疑問でした。


個人的!!ヒデの意見


正直なところ、自分の意見を言うだけでなんでこんなに気を遣わなきゃいけないの?なんで嫌われなきゃいけないの?と不思議な時があります。

みんなに合わせるだけの人間に、存在価値なんてない気がしますし、文句を言わずに不眠不休で働けるロボットの方が確実に役に立ちます。


いろんな意見があるからこそ、多数の人間が集まることに価値が生まれるんじゃないですか?と僕は思います。

ひとりが「是」と言ったらみんなが「そうだそうだ!」って言うとか、どこの独裁国家ですか。

意見の言い方にもマナーがあり、批判と悪口と文句はちゃんと区別するべきだと思います。

ですがもしあなたが、「自分はこう思っている」と意見しただけで嫌われているとしたら、それはあなたが悪いのではありません。他人の意見を受け入れる器がない、まわり(一党独裁、共産主義)の野郎が悪いのです。

空気を読んで他人任せにする方が楽です。ですがそれでは、あなたの存在価値がなくなります。

あなたは自分の意見を持ち、それを伝えることで、自分の存在価値を高めているのです。

「協調性がない」だとか「わがまま」だといって嫌われたとしても、「空気読んで自分殺すよりマシ」だと堂々と主張すればいいんです。

まわりに嫌われても、どんどん自分の意見を言っていきましょう。

それが自分や社会を成長させるとヒデは思います。


では、また次回


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