見出し画像

父親(5)


父親の耳元で女の人が「息子さんが来てますよ。20年振りらしいですよ」という。「御無沙汰してて。分かる?」。Eさんは、父親のうつろな目の中を探る。

そこには、疑いや恐れのようなものは、なかった。けれど、驚きや興奮もなかった。ただ、うつろだった。息子の声は、彼の耳にも脳にも届かなかった様子だ。

「今日は、随分と表情が柔らかいですね」と女の人が誰にともなくいう。それは、Eさんへの社交辞令かもしれない。「なんかうまいもん食いたいなぁ!」。

急に、あくび混じりに父親が怒鳴る。それが何か(例えば息子との再会)の喜びの表出なのか、単なる認知症の周辺症状なのか、Eさんには分からなかった。


いいなと思ったら応援しよう!

皮膜
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。何らか反響をいただければ、次の記事への糧になります。

この記事が参加している募集