祖母の黒豆の味
自分でよく料理をするようになる前から、「料理の合理性」には惹かれていた。
古い記憶をさかのぼると、小学生3~4年生くらいの頃に「お母さんに得意料理のレシピを聞いてきて、それを発表してください」という宿題があった。そのとき、母から何らかの煮込み料理を教えてもらって「なにより、これは冬に灯油ストーブの上に鍋を置いておくと、ちょうどよく煮えてガス代も余計にかからない」と聞いて感銘を受けた。
それをそのまま書いて発表したところ、母親に後から「恥ずかしいからそういうところまで書かないで欲しい」とたしなめられた。
暖房として活躍している熱源が、調理用の「とろ火」としても適しているという一挙両得に感動し、そここそがポイントだと思いはずせなかったのだが、単なるケチと思われて恥ずかしいという親の気持ちも今ではわかる。
自分で料理をするようになって一つの料理について調べていると、たとえば「フレンチトーストに使うパンは、一晩ひたした方がおいしい」「時間の長さというよりは、パンを一度焼いて卵液に浸すのがコツ」「食パンよりバゲットがおいしい」と諸説あるのを見て「もともとは石のように固くなってしまったバゲットを何とかして美味しく食べるために生まれたのが、フレンチトーストだとしたらしっくりくる」という理解があった。
“固くなったパンの再利用”と思うと、スープのとろみづけにパンを砕いて入れるのも「とろみづけ」が主な目的ではなくパンをどうにかして食べたい結果として納得しやすい。
また、自分がお金がないあまり豆腐屋で売られている「おから」に親しんでいた頃にレシピを調べていたら「卯の花は、出汁を引いてインゲンを買ってきてと一から手をかけるのではなく、鯖缶の汁を吸わせる感じで作ると美味しくできる」とレシピ投稿サイトに書いていたひとがいて、おからが恐ろしく水気を吸うところから見ると「煮魚などの煮汁がもったいなくて、おからを入れて炊きなおし、青み野菜を後で補った」とみる方が「卯の花」をわざわざ材料をそろえて作るよりも合理的で、元来そういうものだったのではないかと思えてきた。
イタリア家庭料理の本を読んでいると、ピザ生地を丸くカットした際に出る端切れを揚げて、それに砂糖やナッツのペーストを付けて食べるというレシピが出てくるのも、母親がフライを揚げる片手間でドーナッツを作ってくれたことを思って嬉しくなってしまう。
余った生地はもったいないという「始末のよさ」にとどまらず、別の「美味しい」が生み出されることに、料理のマジカルな側面を感じる。
父方の祖母が健在だった頃、なます、数の子、昆布巻き、うま煮、黒豆…数々のお正月料理が仕込みされていて、集まった親戚達で大晦日から食べ始めるのが常だった。北海道では正月料理を大晦日から食べ始めることが多い。お重には詰めておらず大皿に盛りつけていた。
お正月料理は「飲みながら肴として食べる」酒肴としての色が濃い。子供ごころには、あまりストレートに「美味しい」と感じられるものが少ない中、数の子と黒豆は好きで食べていたのを覚えている。
数の子は、カリカリとした食感がある沢庵が入っており、黒豆は逆に豆が固めで皺が寄っている分、こまかく切ったこんにゃくが入っているのが味のコントラストを生み出している。
大人になって「祖母の料理が美味しかった、再現したい」と、私も母親も思った。
しかし、どのレシピを見ても「黒豆を固くしないためのコツ」しか出てこない。こんにゃくが入ったレシピも一つも見つからない。そうじゃなくて、固くても美味しかったし、あのこんにゃくが良かったのだよねと母と言い合った。
その後、年単位で間があいてから、母と話していたら「黒豆を固く煮るのは、どうしたらいいかわかった」と嬉しそうに言う。
「長ーい時間、とろ火にかけたらああなる。最近、うちでも体感の暖かさ重視でオイルヒーターから灯油ストーブに戻して、それで黒豆を煮てみたら固くなった。きっと、ばあちゃんは他の料理をしている間に黒豆の鍋をストーブにかけていたんだと思う」
確かに、祖母の家では頭がのぼせるくらいカンカンに焚かれた灯油ストーブの上で、やかんや干し芋や餅など、いつも何かが火にかけられていた。こんにゃくは、きっと後から工夫して付け足されたオリジナル要素なのだろう。
かみしめるほどに美味しい黒豆だった、と今でも思い出す。
〔思い出した店・本〕
谷町九丁目 ふる里
24時間営業のうどん屋。
24時間うどんを供給されたいことある?と最初は訝しんだが、うどんはいついかなるときでも食べたくなるものだと最近わかってきた。
醤油で煮含めたような黒っぽい店内で、天井近くに設置されたテレビを店じゅうの客全員がぼーっと眺めるでもなく眺める。客層は様々で、ホストみたいなひともいれば、いかにも近所から来たようなおっちゃんおばちゃんもいる。その混在が、テレビと食卓の求心力によってまとめられている感じが「年末年始で急に集まった親戚」のように感じてしまう。
「日本の家庭料理独習書」土井善晴(高橋書店/2007年)
土井善晴はすごい!!!と思った最初の料理本。
父親の土井勝の料理を、現代でそのまま作るには難しいところ、時代にそぐわないところも出てきたためブラッシュアップして伝えようとして語り直された渾身の料理本。他に類を見ないほど字が多い。文字が紙面の九割を占める。
土井勝の料理本をさかのぼって読み、そのとおりに黒豆を煮てみたこともある。とても柔らかく煮あがった。