泣きながら自分の心を吐き出す
を、していました。
こんにちは、hikaruです。
わたしは昔から自己表現、感情表現が苦手で、人とのコミュニケーションを極力避けて生きてきました。
そんな私は不登校だったりニートだったりしたわけですが、大人になり働かなければならなくなった時期に、はじめてした仕事が「接客業」でした。
その経験のお陰か、仕事でのコミュニケーションに困ったことはほとんど無いのですが
逆に家族やパートナーなど
近しい関係の相手に対してどうやりとりをすればいいのが悩むことが多くありました。
距離感がわからないですし、何をどこからどこまで言ったらいいのか、話せばいいこかが分からないんですね。
だから怒りをかったり悲しまれたり
最悪は絶縁してしまったりしたわけですが
この、人とのコミュニケーションや
わたしにとっての感情表現というのは
生涯の課題ではないかとうっすら思います。
(生涯は長いので今の課題としておきたいですね笑)
そんな私を心配したパートナーが
交換日記のようなやりとりをLINEで提案してくれて、思ったことや困っていること、話しにくいことをここ(LINE)に送るようにと言ってくれました。
そこに文を送るだけでもめちゃくちゃ緊張しますが…
最近は特に気分の落ち込みがひどく
パートナーが私の嫌いな相手と誕生日に連絡を取っていたこともあり、ガクンとテンションが落ち込みました。
それもこれも自分の自信のなさで
自信があれば笑ってやり過ごせることかもしれません。
でも今の私にはそれが出来ませんし、無理をすると体調を間違いなく崩すので、その場でパートナーに嫌なことを伝えて、その相手をブロックしてもらいました。
(前にブロックするといってそのまま忘れていたらしい)
(昔はその場で言うのも無理だったからかなり成長はしました)
ここまで来ると、なんだか自分の存在が
パートナーや誰かの楽しい時間を奪っているようで
自分の一挙一動に罪悪感を感じてくるわけです。
これはきっと過度の自意識過剰だとおもいますが
それを認識したからといって、すぐに自意識過剰が治るのは無理な話です。
これは私の幼少期の話ですが
やることなすこと全部否定されてきました。
「なんで学校いかないの?」
「なんであそこに仕事決めたの!?」
「なんで何も言わないの!?」
一つでも、一つでもいいから
わたしは、自分のありのままを認めて欲しかったし
肯定して欲しかった
だからそれが蘇ってきてしまった
私を認めて欲しい、でもそれを言えない…みたいな
とりまとめのない内容になってしまいましたが
自分の思考癖や、出来事を過去やトラウマに結びつける癖を見つけると、ほんの少し楽になれます。
わたしもほんの少し楽になって、かつ自分を客観視出来るようになりました。(泣きながら文章を書いているけれど)
あとは、好きな人を自分の思考の勘違いで嫌いにならずに済みますし
諍いも最小限で済むようになると思います。
わたしはまだまだ自己分析がたりないし
なんだかんだ自己中心的で嫌になりますが
そんな自分を、自己中心を直して
もっともっと楽に、楽しく、笑顔で生きていけたらなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。