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満月、猫からのサイン

少し前のこと

満月の日に
猫が帰ってきたのです。
目に見えたり
手で触れられる猫ではありません。
あくまでも、私の心の中の 私の猫。

先日の、おうし座満月、皆既月食の日の朝、
いつものように無表情でキッチンに立った時、
ふと、2年と10ヶ月前の朝に時間が戻ったような感覚になったのです。

音…猫の爪研ぎの音

微かに窓辺から 
 パリパリパリ…トギトギトギ…

私の後をついて来た猫が、
そこで爪研ぎをしている感覚。
「おひさまが、
 こんにちは しに来てくれて
 気持ちいいね。」
当たり前にそう言いそうになって
「あ、違う」と呟きましたが、
「違うはちがうよ、
今朝は猫が虹を滑り降りて来てくれたんだ」
自然にそう思ったのでした。

「加齢による…」医療機関に行くと、この数年で耳にタコができるほどの言葉を頂きます。
友達とLINEをしても、どこが悪いの治療だの手術だの、男子達ほど病気自慢はしませんが、「あーあ」とガッカリの心の伝え合いが増えてきました。
 私は特別、体力がある方ではなく、できたら専業主婦でのんびりと趣味を続けで過ごしたかった人間ですが、子供が中学生をあと数ヶ月で終えるという時、義父の会社が倒産に追い込まれて我家の生活が一変しました。この話を書くと山ほどキリがないのでやめますが。
私は40歳前にして、生まれて初めて世の中の社会の荒波というやつに出たのです。
 若い時にはまだまだエネルギーが蓄えられていて、頭とは別に若さで動く事ができます。でもそれが自分に合った生き方でなかったら…要するに「無理を重ねてしまう」と、時間が経ったとき、心はヤラレ身体にも歪みがくる。そして「なんで自分を大切にしなかったんだろう」という後悔も生まれる。
 必死で我慢したり
 嫌なのに断れなかったり
 無理なのに笑ったり
 もっともっと、いろいろ…

その時の私に声をかけるとしたら
「自分より、子供の未来が良くなればいいんだからと、そうやって無理をするしかなかったんだよね。一人でよくやってきたよ。
ほんと、よく、やってきたよ。」
 あまりに必死で忙しくて、細かい事をよく覚えていない時代でしたが、思い出すのは、家に辿り着くと必ず玄関に猫がキレイに座っていて出迎えてくれたこと。夜、家事を済ませてボロボロ寸前の私の横には、いつも猫が居てくれてたこと。
 あの、ふわふわであったかい感触は、今でも目を閉じると一瞬で蘇ってきます。私の猫は、膝に乗る猫ではなかったけれど、にくきゅうとかオシリとか、ほんの一部分を私に触れて、いつも私に寄り添ってくれていました。
 おうし座の満月の日は、朝からそんな風に一日、猫の事ばかり思って猫を感じて過ごしていました。

夕方、スーパーから戻ると、玄関ドアに不在票が挟まっていました。うん?知らない人から。
ポチポチ(ネット注文)はここのところしてないし、下の階に同じ苗字の人が居るんだけど間違えてないかしらと思いながらも再配達の手配をしたなら、夕飯の支度をしている頃に荷物は届きました。

知らない名前の人からの荷物を恐る恐る開ける。少し、ドキドキ。
ハサミでまっすぐ丁寧に袋を切る。
 えっ?
中には
掌サイズの三毛猫のお人形ちゃん。
メッセージカードを開いて読んだなら、
やっと謎が解けました。
と同時に涙が止まりませんでした。

ひなさま
◯◯(私の友)からのご依頼により、猫ちゃんのお人形をお届けいたします。

お人形作りの作家さんからの荷物でした。
手術後の学生時代の友が、私への励ましを込めてサプライズで注文してくれた猫のお人形ちゃんでした。
届いたのは、たまたまの満月の日。

「猫が帰ってきた」
猫ちゃんを両手で包むと、どんどんと涙腺が崩壊して肩を揺するほど泣きました。


朝から たくさん、
ママにサインを送っていたんだね。

  やっと、きづいたニャン?
  ママ、相変わらず おドジだにゃ。

これからの ずっと
満月の夜には
一緒に お月見 しましょうね

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