「タイプ」の話
自分に限った話ではなく、誰だってそうだとは思うが、自分が生活を送る上で出会う人の中には、相性が存在すると考える。話していて楽な人、無言のまま同じ空間に居ても楽な人、話していて噛み合わないなと感じる人、話をしなくても噛み合わなそうだなぁと感じる人などなどだ。
これらの考えには、大抵の場合否定的なバイアスがかかっている為、話すようになると「意外とそうでもないかも」的な事が多々ある。その一方、話をする前から噛み合わなそうと感じる人の場合、この否定的なバイアスが、話すという行為を経ることにより、バイアスから事実・経験へと進化する。
「話す前は噛み合わなそうと思っていたけれど、いざ話してみるとやっぱりダメそう」という訳である。
このようなケースに対して、どう対処(自己解決)するのが正解(消化法)なのか、これが中々難しい。別に自分と合わないというだけで、悪人な訳でもないため、敵意をむき出しに睨みをきかせるのもおかしな話である。その相手たちは普段通り、いつも通りに話しているだけなのだから、余計な事をしているのはどちらかと言えばこちら側なのである。
ただ、主観で考える場合、自分と合わない人間と話をするという行為は、やはりストレスを感じるものであり、それなりにしんどいものであるため、彼らは自分から見て「害」であると言えるだろう。
まあそんな事ばかり言っていると世の中「害」だらけになり、勝手に自分が生きずらい世界を作っていってしまうことになるため、オススメはできない。
ならどうするのか、1つの選択肢として、「害」であるかどうかの判断をしないという回答に辿りついた。自分にとって、無害かのか、有害なのかの判断を、敢えて下さずに受け流す。自分の価値観では測れない、ジャッジできないから受け流す。
「あ〜こういう人いるな〜 まあ俺とは違うから何も分からんけど」 と突き放す。
これも中々に難しいのだが、経験を経て上手くなっていくのかもしれない。
価値観のアップデートを止めないこと。
そして、ハンドルを完全に操れるようになること。
長い目で考えたい。