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塩むすび

私の実家は、田んぼや工場や高速道路に囲まれた田舎の本家で、小さい頃からお葬式や法事が多かった。

物心がつく頃には、私にも御膳に乗った精進料理の席を一丁前に与えられ、肉っけのない料理を散々食べた。大豆料理も美味しかったが、甘醤油の汁がかかった透明・ピンク・緑色のところてんのような食べ物も好きだった。

御膳の向こう側には、一人ひとりお持ち帰り用の品が用意されており、親戚やお客様向けは大きなパックだった。身内用は小さなパックで、りんご、とろろ昆布、佃煮やおまんじゅうといった品が、浅いプラスチックトレーに乗せられてラップでカバーされ置いてあった。
自分のものだと思っていたのに、気づいたらいつもどこかに消えていたけど。(たいてい、近所へお裾分けとして配られる)

お葬式や法事ということになると、遠方に嫁いでしまった親戚のおばさんも帰ってくる。まあ、おばさんと言っても祖父のお姉さんだから、大叔母とかそういう呼び方になるのだろうか?

とにかくその日は、朝から家族全員が準備に忙しくしているので、隙をみてぱっとつまめる食事が必要だ。遠方から帰ってきた大叔母は、大皿に塩むすびを作ってくれていた。

おむすびは普段から食べている。
いつもなら、とろろ昆布をまとい自家製の酸っぱい梅干しが中に入っているが、この日のおむすびは本当に塩だけのものだった。

しかしこれが、びっくりするくらい美味しかったのである。
「邪魔をするな」と隅に追いやられている私たち子どもが、何個もおかわりをしてしまって、大人の分が足りなくなるような美味しさだった。

手を濡らして、その手に塩をすり込んで握るだけ。
きっとその塩梅が良かったのだろう。
いわゆるサラサラした食卓塩ではなく、少し湿り気のある安い粗塩だったと思う。
ほんとうに絶妙な塩加減だった。

私が大学生になり参加した飲み会で、締めにあの「塩むすび」を思い出して握ってみたことがある。しかし酔っ払った頭でも「塩っ辛いね」と言われるものになってしまった。
それ以降、作った記憶はない。

今はラップを使っておむすびを作ってしまうので、手を濡らす機会自体がない。せいぜい、にぎったおむすびの表面にささっと塩を振りかける程度だ。

大正生まれの大叔母が作ってくれた塩むすびが懐かしい。
気づいたら、もうすぐお昼の時間じゃないか。
「あーおむすび食べたい」

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#あーおむすび食べたい

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ひなた とりこ
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