「18歳になったら…」息子の旅立ち
息子が巣立っていった。
彼は昨年末オーストラリアのハイスクールを卒業後、半年間のギャップイヤー(のんびりとした時間)を過ごし、セメスター2(7月)からの大学進学を選んだ。
進学先は州都であるブリスベン。
子ども達が小学生の頃から
「18歳になったら、家を出て独り立ちしてよ」
という趣旨の発言を繰り返してきた私たち夫婦。
夫はいたって平気のようだが、一緒にブリスベンへ行き息子の住まいを決めてきた私は、今現在ものすごく「別れ」を感じている。
そのため、noteに文章を書いて少し落ち着こうと思う。
1・仮の宿
先週の土曜日、息子と私はブリスベンへ飛んだ。
息子は片道切符で、私は木曜に帰る往復券。
滞在中の5泊の宿は事前に押さえていたが、この時点ではまだ、息子の新しい住まいは見つかっていない。
空港からの直通バスに乗って夜9時ごろにたどり着いた宿は、想像以上にきれいで過ごしやすい所だった。
ここに泊まりながら探す息子の住まいは、いったいどんな場所になるのだろうか。
この時点で内見予定のアコモは、くたびれた感じの所一件だけ。
2・動けない日曜日
当初の計画では、オンラインで入居予約ができるいわゆる「Student Accomodation(学生専用寮)」を利用するはずだった。
せっまい二人シェアルームで週310ドルという条件。
交通の便が良い街中にあって、すぐに学校へ行ける。
建物の中には、ジムや娯楽ルーム、スタディエリアなど、部屋は狭いが楽しく過ごす場所がたくさんあることを謳うイケてる感じの寮だ。
年が明ければ、すでにブリスベンに引っ越した息子の友人たちと集まって、皆で同じシェアハウスに住むつもりでいる。半年間ならこの金額でも払えるかなと当初は思った。
しかし、ルームシェアなのにこの家賃はやっぱり高いかもと思い直し、一人部屋でよい場所が他にあるのではないかとネットを見漁ることにした(私のお得意分野)。
しつこく検索した結果、いわゆる一般的なシェアハウスでも学生向けシェアハウスでも、まずは内見をしないと始まらないことだけがわかった。
色々な物件に連絡を取るも、ほぼ返信がない。
遠隔地に住む我々は、行ったとこ勝負なのだと知る。
もともと住まいは決定しており、引っ越すだけのつもりで予約した飛行機のチケット。動ける初日が日曜日で、それはつまり不動産屋も休みであることを意味する。
住まいを探す行動がとれない。
この日は事前に予定していた、むかし同じアパートに住んでいたことのあるご家族と会い、ブリスベンの家賃の高さなどを聞く。こんなバイトがいいかもよ、なんて話も。
そして進学先の施設周辺の下見をして終了。
3・内見の月曜日
ものすごく街中だが、たいぶ古びた学生寮の内見にこぎつける。
「ブリスベンに到着したら連絡して」と担当の不動産屋に言われていたので、午前中に見せてもらえるように動き、内見が実現した。
ようやく建物を実際に見ることができたのは良かったが、その施設自体はお世辞にも住みたいと思うより「頑張れば住めるか…」という気持ちになるものだった。しかも立地のせいだろう、週285ドルもする。極め付けに、見せてもらった部屋はまだ住人が住んでおり、出て行くような雰囲気は見受けられなかった。鍵を開けてくれたお姉さんは何も情報を持っておらず、詳細は担当者(上司)に確認して欲しいと言われた。
住む場所がここしかないのなら、入居できるまではバックパッカー宿で待って今年中の我慢だろうかと、なかば諦めの気持ちで友人と会った。
月曜はランチの予定を組んでいた。
息子を除く私たちは年末に日本へ本帰国するため、断捨離中の我が家。
売り出し中の着物の反物を購入してくださる人を、ブリスベンの友人が繋いでくれたのだ。(つまり、午前中は反物を持ちながら内見した)
友人、反物を買ってくださるかたと私たち二人の4人でランチを食べながら、息子の住まい探しの現状を話した。
すると反物を買ってくださった方が、自宅の一室を貸出中の友人を知っているという。もしかしたら、まだ入居者が決まっていないかもよと、その場で連絡をとってくださった。
登場人物全員、日本人のママ友繋がりなのだが、その気やすさというかフランクさで、急遽、そのお宅を内見できることになった。
街中からバスで一本、バス停からは6、7分歩くと到着するお住まい。
息子にとっては十分通学圏内だ。
そしてなんといっても、部屋が広く明るくキレイで整っており、トイレ別のバスルームや冷蔵庫、ミニキッチンなどをシェアするのは二人だけという好条件。炊いた冷凍ご飯と洗剤など生活用品が色々支給されて、朝見た学生寮より少し安い金額。
朝のところは小さな冷蔵庫が各部屋についているものの、5、6人で一つのバスルーム、20人くらいの住人が使うキッチンや洗濯機は一つだった。
帰りのバスの中で、息子は「ここがいい」と珍しく自分から意見を言った。と同時に、以前からコンタクトを取っていた別のシェアハウスから内見できるとの連絡が息子の携帯に届いた。
4・決定の火曜日
昨日の下宿先はとても良かったが、この日内見するところも写真はきれいで、6部屋の入居に対して7人住んでおりバスルームが4つあると書いてある。
学校まで少し歩く距離の近さの、お店が至るところにある住宅街。
値段は週260ドル。
ここを見てから決定しようということになった。
オーナーさんがやってきて、二階建てのクイーンズランダーの一階に案内される。インド人の大学院生の男性と一緒に見学。
真ん中は共有エリアでキッチンとリビング。その周りに各部屋とバスルームがある造り。
即入居できる空き部屋を見せてもらう。
昨日の学生寮よりは広く、ベッド以外に骨董品だがいくつかの家具も用意されている。ただし、掲載されていた写真ほど新しくはない。
バスルームは、男性用トイレ、男性用シャワー、女性用トイレ、女性用シャワーの四つという意味だった。
そして個室は8部屋あった。
ここは最終的に、3人のインド人男子学生と我々が内見した。来週にはもう一つ部屋が空くという。早い者勝ち。
建物は古めだったが、最初の学生寮に比べればこちらの方が良い。
しかし総合的な条件は、圧倒的に日本人宅の下宿が良い。
もし下宿先を知らなかったなら、ここを選んでいただろうと思う。
全体的な雰囲気は悪くなかった。
オーナーさんは「今サインをしたら、今日からでも入れる」と私を見て言った。
5・再会の水曜日
住所が決まったため大体の事務作業を済ませて、水曜日はまた別の懐かしい方と再会予定を立てていた。
私たちのビザがまだワーホリかビジネスか、そのあたりの頃に紹介されて知り合った、今やブリスベンの重鎮の面々。
お子さんもすでにみな就職されているような在豪歴30年選手で、本当に久しぶりにお会いした。息子が赤ん坊の時に抱っこしてもらっているので、その写真を息子に見せたりも。
みなさんとは某ショッピングセンターの中でおしゃべりしたのだが、そこは偶然にも、これからの息子の下宿先から一番近い買い物先になる。
ブリスベンといってもエリアは様々あるが、ご縁のある方というのは、結局似たような場所に多くいらっしゃるのかもしれない。
これから一番利用することになるだろうショッピングセンターの中を、息子と一通り歩き回って、バス停の場所を確認し帰宅した。
6・別れの木曜日
どうなることかと思っていた息子の住まいは、滞在中になんとか決まった。
ブリスベンで会いたいと思っていた人々にも再会することができた。
下宿先に引っ越すまで1週間弱のギャップがあるのだが、その期間中は息子のハイスクール時代の友人宅(寮)に無料で泊まれるという。
5泊泊まった宿をチェックアウトし、息子と私はそれぞれのスーツケースを引いて街中へ移動。
息子は友人の住む場所へ、バスに乗って行ってしまった。
私はシティで少し時間を潰した後、午後の便の飛行機に乗るため空港へ向かった。
泣くと、息子の足を引っ張ってしまうような気がして、舌を軽く噛んで涙を止めていた。
私たちがこのままオーストラリアに住み続ける予定なら、それほど寂しくはなかったかもしれない。
しかし、半年後には日本へ引っ越してしまう。
簡単には会えなくなる気がして、母親として、ただただ寂しい気持ちが膨らんだ。
それでも、彼の成長の大きなチャンスでもあるのだから、前向きな気持ちでエールを送りたい。
思い出に浸るには、まだ早い。
ご覧いただきましてありがとうございます♪