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砂山影二「銀の壺」掲載原稿 3
第三号です。ここに社友の歌会なのか長谷川海太郎の名前があります。一点ですが、どんな短歌を作ったのか知りたくなります。広く文芸を志す若者たちが集っていたことが覗えます。影二の短歌からは、のちのペンネームとなる「砂山」へのこだわりと、若者の風俗も読み取れ、史料として読んでも面白いと思います。
「同人同語」が「同人小集」と替わっています。いろいろと考えながら編集していたことが読み取れます。
「銀の壺」第三號
大正七年八月卅日印刷納本 ・ 大正七年九月一日發行
P7 『砂山の歌』
中野草夢
今までに作つた砂山の歌の中より十三首をぬく
久しくも逢はざりしこの砂山におとづれ来るわが身かなしも
心ゆくまで泣かんと思ひ来し砂山(おか)に海鳥群れて翼やすめをり
砂山の砂に腰かけうなだれつ遠き浪の音しみじみときく
春の陽に照らされつひとり砂山の砂に坐りて物を思へり
砂山に来てかなしくもゴンドラのうた口ずさみさまよひしかな
今日もまた砂山に来てたゞひとりさまよひて見ぬ君を思ひつ
たゞひとりかの砂山をやるせなき心いだいてさまよひしかな
指をもて夢といふ字を砂に書きしみじみとして見つめけるかな
缺課して砂山に行きたゞひとり秋の太陽(ひ)あびてさまよひにけり
砂山の砂にまろびて浪の音を遠くきゝつゝ涙せしかも
やるせなきわが心かな砂山に腰うちかけて沖を見つむる
砂山ゆ海に向ひてたからかに啄木の歌をうたひけるかな
砂山の砂を握りてしみじみとかの啄木をしたふなりけり
P75 『第一次社友小集』
●中野草夢 (四點)
砂山の砂を握りてしみじみとかの啄木をしたふなりけり
●中野草夢 (三點)
ひとしきりどよみて過ぎし終電車やがて音消江夜はふかむかも
●長谷川海太郎 (一點)
P84 『短歌抄』 保坂哀鳥
前號で私の好いと思つた歌は二十餘首ありました。私は其全部を挙げたいけれども、紙面に餘融がなく為めに五首丈より抄録し得ないことを憾みとします。
(中略) 二首目として紹介
意地悪のにくくてならぬ友ありて死んでしまへと願ひてしかな
中野草夢さん、あなたは全くいとしい若者だと思ひます。幼ない時の心が純真なあなたの態度に依つて遺憾なく歌はれてゐます。何卒この飾らざる心を何時までもお忘れならない様に。
P87 ■『同人小集』■ 中野草夢
七月八日の夜、それは小雨そぼ降る、しづかな何となく心の落ちついた夜でした。同人と前夜光詩社同人の井本金太郎氏と六人は、船塲町事務所に集つて、むつましく而も真面目に、漸くこの編輯を終江たのです。
みんなは非常に好い歌の多かつたことをよろこびました。そして、かうして號を重ねると共にいよいよ充実した雑誌になることをよろこびました。
「第三號の編輯も終江てしまつた。」といふある安心を覚江て、茶をすゝりながら、しばらくの間雑談を交わしました。
やがて六人は夜ふけの街に出ました。小雨はまだはれませんでした。みんなは「さすらひの唄」などを口ずさんでそゞろ歩きをしたのです。そうして歩いてゐる中に、一人づゝ減つてゆきました。五人となり四人となり三人となり二人となり、最後に残つた私はたつたひとり、澤山の原稿をふところにして、「印刷するんだ」といふうれしみを抱いて、家へ帰りました。
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草田春二さま、第二號のご批評を下さいましてどうも有難うございました。
萩生貞爾さま、藤紫朗さま、原稿が編輯後に着きましたので、次號にまはしました。どうぞ悪しからず。社友は次號に紹介します。