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紙袋のなか、ブロンディひとつ

小学生の頃、土日に退屈だった記憶がほとんどない。

わたしの両親は休日になると朝から出かけたがって、やれフリーマーケットだのやれ科学館だの、色々なところに連れて行ってもらった。だから休日は家にいるものではないと思っていたし、自分がこの年になってようやく、フルタイムで働きながら休日に朝から家族全員を連れて遊びに行っていた両親のパワフルさは異常なものなのだと知った。そうした幼少期を過ごしていたからなのかはわからないが、わたしはとにかく長距離移動が好きだ。車、バスに飛行機、新幹線、全然苦痛ではないし、むしろ長距離移動があると心が躍る。

ニューヨークに来て、何度かメトロノース鉄道を使う機会があった。メトロノース鉄道とはニューヨーク市と郊外を繋ぐ鉄道のことで、特急列車のようなものだ。新幹線のような座席配置で、窓からはニューヨーク郊外の長閑な風景が広がる。わたしはこのメトロノースが大好きで、乗るときはいつもうきうきする。もちろん飛行機も大好きだが飛行機ほど長くなく、車ほど揺れないので読書もできる。メトロノースの旅は乗る前から始まっていて、いつもスペシャルな時間をくれる。

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午後1時、わたしはグランドセントラル駅にいた。楽器とその他荷物を担いで人の流れの中、グランドセントラル駅を歩くわたしはとても小さく感じた。わたしは身長が小さい方ではなく、むしろ大きいくらいなのだが、ニューヨークで人の流れの中にいると自分がいつもちっぽけで頼りない存在だと思う瞬間に出くわす。そんな時は『小さい旅人、いいじゃない。あなたはミヒャエル・エンデのモモみたいね。』とどこからが声が聞こえるので、少し胸を張って人混みの中を闊歩する。駅の天井を見上げればパステルグリーンの空に浮かぶ星座たちが微笑んでいて、何度来てもうっとりと醒めることのない夢を見ている気分になるのだ。

駅に着いたら切符を買って、電車が来るまで時間があることを確認してからZaro's Family Bakeryで軽食を買う。これがメトロノースに乗る前のいちばんの楽しみだ。いちばん小さいサイズ、2.5ドルの安いコーヒーとブロンディをひとつずつ頼む。ブロンディというのはブラウニーみたいなお菓子のことで、茶色のずっしりとしたチョコレート味のものではなく、クリーム色でチョコチップが鉱山のように顔を出している、いわば『白いブラウニー』のことをブロンディと呼ぶ。カントリーマアムのココア味がブラウニーだとしたら、ちょうどバニラ味がブロンディにあたる。コーヒーとブロンディを買ったら電車の待つホームへ向かう。駅員さんに「この電車はHarrisonに向かいますか?」と尋ねると、太っちょの彼は「残念だったな、おれたちはHarrisonがきらいなんだ!17番ホームで待っててくれ!」とテーマパークの従業員よろしく明るい口調で教えてくれた。わかった、ありがとうと答えているのに、おせっかいで陽気な彼はセブンティーンだぞ、ワンとセブンだぞ、わかったか!としつこく教えてくれた。17番ホームには既に電車が止まっていたので荷物を全ておろし、席に着く。早くブロンディをかじりたいけれど、電車が動き始めるまでぐっと堪えるのだ。移動中に読む用に持ってきた本の背表紙をなぞりながら、出発を待つ。

電車が動き出す。どんどんマンハッタンが遠ざかる。年甲斐もなく嬉しくなって、コーヒーを一口飲む。コーヒーの味について詳しくはないけれど、こういう肩肘張らない雑なコーヒーが案外好きだったりする。がさがさと音のなる紙袋の中を覗くと、かわいい色をしたブロンディがしっかりとした重量感を持ってそこにいた。ブロンディを食べやすい大きさに割って、こぼさないように袋から出す。食べる前から伝わってくるブロンディの「さっくり」よりも「もったり」に近い質感が、小さい頃もカントリーマアムのバニラ味ばっかり食べていたことを思い出させる。

しっとりしていて濃厚で、それでいてアメリカのスイーツにありがちな劇的な甘さ、というわけでもなく、どこかぼやけていて冴えない印象すらあるこのブロンディが愛しくてたまらない。わたしは車窓から見えるニューヨーク郊外ののどかな風景をぼんやりと眺めながら、ブロンディをかじった。

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Hina Oikawa 及川陽菜
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