学んだからって、驕らない。
こんにちは。Hinaです。
保育士の勉強を始めてから、法律の条文を読み込むようになりました。
その中で、教育とは何か?目的は何か?そのために何をするべきなのか?等、根拠に基づいた実践を学んでいます。
法律に限らず何かを学ぶと、それを相手を論破するために使ってしまいがちです。
例えば、教育熱心な小学生の親御さんが
「優秀な子に育って欲しいから机に座って教える科目をもっと増やして!虫探しとかしなくていいから!」と訴えてきた時。
先生が「そうは言っても法律で自然体験や体験的な活動もするように定められているので・・・」と言えば、親御さんは納得するのでしょうか?
きっと答えは否です。
親御さんは納得しません。
法律に基づいて、そして教育者として間違ったことは言っていません。
しかし多くの人がこの先生の対応に賛成しないのはなぜでしょうか?
それは、いくら法律という根拠を持っていたとしても、それを武器にして相手を論破するのはナンセンスだからだと思います。
法律上正しいかどうかだけではなく、私たちは常に、その場・状況に応じて物事を判断する必要があるのです。
私の職場にも、「社会福祉士として支援に迷ったら立ち返るべき姿勢」という共通の認識が書かれたテキストが常備されています。
そして、今している支援が正しいかどうか迷った時には、支援者としてあるべき姿や尊重されるべきクライエントの利益など
「立ち返るべき姿勢」が書かれているそのテキストに戻ることが推奨されています。
確かに根拠を持った支援をするのは間違ったことではありません。
しかし、根拠に頼りすぎると判断力が鈍るかもしれないと思い始めました。
今自分が言っていることは根拠に当てはまっている=正しい
という思考の中に、自分なりの判断基準はありません。
根拠というのは、チート券でもフリーパスでも、マリオのスターでもないのです。
(変な例えですが)
あくまでも思考軸を構成するための一つの要素であり、絶対の存在ではありません。
法律あるいは何かの基礎を学んで、それを自分なりに噛み砕いて理解することで使いこなすことができるようになる。
そして何か起きた時には、その根拠を生かして議論を交わし、最終的にその場に応じた答えが出るのだと思いました。
何か学んだ時、それが全てだとは思わないこと。
あくまでもその場で考え直すこと。
学べば学ぶほど正しい思考に近づくのではなく、答えを導き出すための材料を引き出しにためる感覚だと感じました。
ふと思い立ったので。
では、また🌻