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多国籍なスタッフ間で爆誕した「イタリア≒大阪論」

私の会社には、海外からの学生インターンさんがいます。だから、ランチの時間はハワイのフードコート並みの多様さ。

7月から来てくれているのは、アメリカ・ワシントンD.Cからの学生さん。彼女は以前、イタリアに留学をしていた経験もあるのだそう。

その文化的発明ともいえる論が爆誕したのはお寿司屋さんでのランチタイムでした。13年ほどイタリア在住の経験があるスタッフと彼女はイタリア話で盛り上がり、

「日本とイタリアって、ぜんぜん違うように見えるけど、大切にしているものは似ている気がする。」

と、一言。それに対し、イタリアに住んでいたスタッフも「そうそう!確かに、食に対する熱い想いとか、家族を大切にするところとかは、日本とイタリアはルーツが同じ気がするよね」と同意。

何かとんでもない論が生まれつつある予感が。

「でも、コミュニケーション1つとっても、働き方や暮らし方を見ても、イタリアと日本はぜんぜん違う。イタリアは奔放でおおらかで、お節介。日本は真面目で空気を読んで、あまり介入しない。イタリアで駅で迷ってたら、もういいって言ってるのにどこまでも案内してくれるからね。」

根底にある文化に共通点はあれど、それぞれの国の雰囲気はぜんぜん違う。それって、同じ日本の中でも感じることかも...とモヤモヤ。

そこに、いつも鋭い視点をくれるスタッフが一言。

「電車で変わったTシャツ着て乗ってるだけで話しかけられる大阪と、スルーする東京。それで言うと、イタリアと大阪は似ているのかもね。」

たしかに...。大阪弁のイタリア人が容易にイメージできてしまうほど、なんか似ている気がする。

ここに、「イタリア≒大阪論」は誕生したのでした。
いろんな国で生きてきたスタッフが多いと、偏見や難しい論はさておき、それぞれの体験ベースであーでもないこーでもないと話せるのが楽しいなと思います。

実際にイタリアに行って確かめたい!と、イタリア未経験者の私は思うのでした。





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森野日菜子*ライター
言葉で、日々に小さな実りを。そんな気持ちで文章を綴っています。