盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月25日】
間違っているところがあったら
教えてください🐰💖
写真は、Chat GPT!!
帰ってきた勘兵衛
寛政12年7月25日。
虎の刻から雨が降りました。
午刻には晴れました。
6月29日に、山田屋の「勘兵衛」の使用人が、
持ち出し禁止の【酒粕・蝋】を、許可なく勝手に持ち帰った事件を覚えていますか?🪵
以下リンクが、その日記です。
【蝋と酒粕】は、他領へ持ち出すことが禁じられています。
そのため、勘兵衛の使用人は、籠舎(牢屋)に入れられました。
一方、勘兵衛は、京都に旅行中で不在でした。
そして、1ヶ月経って、やっと帰ってきました。
勘兵衛が帰ってきたので、町奉行と横目は、使用人たちをどうするか、議論が行われました。
iPhoneがないと不便な世界
京都から戻ってきた勘兵衛に事情を聞きました。
そして、使用人からも話を聞いたところ、事実が判明しました。
勘兵衛が京都旅行へ旅立った後。
使用人は、木材の伐採を終えて、いつも通り、木材を筏に積んで、下流へ向かいました。
しかし、下流で、何かの手違いで、木材の入った荷物が、取り違えられていました。
使用人たちの荷物には、木材ではなく、【そうめん・干しわら(乾燥させた藁)・そして今回問題になっている、蝋と酒粕】が入っていました。
その荷物を役人に見つかりました。
何が起こったか分からない使用人は、牢屋へ入れられたということです。
なぜ、持ち出し禁止の蠟と酒粕がここにあるのか?
そもそも、蝋と酒粕が入っていた荷物は誰のものか?
調査したところ、勘兵衛の私物でした。
「米沢十左衛門」という男が、蝋と酒粕を質屋で買いました。それを、勘兵衛が預かっていたそうです。その荷物を、家に持って帰るのを忘れていました。
荷物の取り違えの事実も確認ができました。
役人たちも、この取り違えの事実を承知しました。
使用人が無罪になり、牢屋から解放されました。
勘兵衛の私物も返却されました。