削る
昨年あたりから、本当に突然、しかしじわじわと鰹節削りたいという欲求が芽生えてきていた。
ネットで調べて買う寸前までいってそのあとちょっと忘れちゃったり、又思い出してみたりと、ゆるゆるとどこかに鰹節削り器を買って削りたいという思いがあった。
友人と買い物へ出かけた昨年の秋、厳選された調理器具を扱うお店の削り節器の前でくぎ付けになった。正直、その場で買えない値段でもないし、周りには決めるの早っと言われ驚愕されている私が、即購入を躊躇していた。
そしてなぜか器ではなく節を購入してしまった。器もないのに。しかも枕崎一歩釣り本節 背だ。数週間は購入してなんだか満足していたのだが、友人に、
「実家にあったりするんじゃないの?」
と言われて目からうろこ、そういえば削っていたっけ?となった。祖父母の家では確実に削っていた記憶があり、特にお正月に行くと祖父がシャコシャコやっていたのを鮮明に覚えていた。
母にある?と聞いたとき即答はなかったが、数日してあったと連絡をもらった。やっと削れる。が、なにせ最後に使ったのがいつかは思い出せないし、刃は錆びているし、箱も底が外れてしまうと言われたが、取り合えず引き取ってきた。
そこで年の瀬も迫ったある日、近くに砥ぎ屋さんがあることがわかったので、調整をお願いしてみた。1週間後に取りに行くと、引き出しを開けて私のものを取り出すとき、その引き出しの中にはたくさんの調整済みの削り器が入っていた。それくらい使用している人がいるのだと改めて感心したものだ。底も修理して万全だ。
そして出番は折しも年末年始の出汁大量消費の食材季節。そばつゆから煮物、お雑煮など大活躍したのは言うまでもない。
何より、その香りが感動なのである。そもそも出汁の匂いは好きだけれど、削りたての本枯れ背節で作る鰹節は格段に想像の上をいく匂いなのである。
以前は希釈のめんつゆを使っていたのだけれど、時間のある時は断然削るところから始めるようになった。
昨今英国でもUMAMIなどと言って、有名シェフなどもかつおだしを使ったりしているが、夫にとってはそこまで大切なところではない。その彼も違いには気づいている。
器は母が結婚したときに持ってきたと記憶しているそうだ。新しいものを購入しても良かったが、母のを受け継いだというのも私にとってはなんとなく意味がある。わりと質の良いものだと思われ、木の風合いもなかなかシブくてよい。
これからも削って削っていろいろな料理にも応用してみようと思う。削るのは楽しみなのである。