感情の波にのまれるとき
ここでひとりごとのようなものを書いている。直接伝えることができない思いを書くこともあれば、自分の考えをまとめるために書くこともある。自分の心を落ち着かせるために書くこともある。
クローゼットに入りきれないほどの洋服が部屋の中にあふれていた。それなのになぜか新しい洋服を買ってしまう。置き場所がなく部屋中に広がった洋服を見るたびに「またやってしまった」と反省をしては自己嫌悪に陥る。
買うことで抑えていた感情を発散させていたのだろうか。
電車に乗り座席に座った瞬間突然得体のしれない切なさと不安で呼吸ができなくなるほどの苦しさを感じ、少し前まで一緒にいたあの人にLINEを入れた。
切なさを感じると思うことある?
そんな質問をしたことにすぐに後悔した。どうして悪い方に考えてしまうのだろうか。私は幸せでいることに慣れていない。だからそれを目に見える形にして保存しておき、時々それを上書きし最新化しないと不安になってしまう。きっとそんな思いから口にしてしまったのかもしれない。
この日ほどマスクをしていることに感謝したことはなかった。
感情というものは時々やっかいなものだと思う。自分の意志ではコントロールできない。
なにかに導かれたように、感じている思いやそういった負の感情をあの人にぶつけてしまった。自分の感情をこんなにさらけ出したのは生まれてはじめてのことで、その溢れてしまった感情をどう制御したらいいのかわからなかった。
どうあがいても解決することができないこと。
もうひとりの私が「もうこれ以上は困らせるだけ」と止めようとしてもその助言が聞けないほどにのまれていた。
その後少し落ち着いたものの、後悔と自己嫌悪だけが残ってしまった。
“かつてから、感情を表に出すことを苦手と自覚していた。もちろんうまく伝えられないこともあるが、感情の起伏があまりなく靄の先でしか物事を感じられなかった。”
以前こんなことを書いた。ただ感情の起伏があまりないと思っていたのは少し違っていたような気がする。
先の人生に対して漠然と不安を感じている。もちろんお金のことがないわけではないが、それは自分の中ではある程度消化できている。その漠然という部分がいったい何なのかがわかっていない、いやわかっていてもどうしようもないからこそどのように対処すればいいのかがわからず「不安」だけが取り巻いている。
ただ、今までそういった負の感情を表には決してださなかったと思う。それを受け止めてもらえることはないと思い、無意識に心の中に何の整理もせず押し込むだけ押し込んでいたのかもしれない。
それが感情の起伏がないと勘違いしていた。
溢れたクローゼットを整理するために、この一年一度も着なかったものを捨てることにした。45リットルゴミ袋二袋となった。本当に欲しいのかもわからずただ買い込んでいた。この量は抑えた感情の量と等しいのかもしれない。中身の少なくなったクローゼットは整理されすっきりとした。この状態を保っておきたいから当分はこのような買い方をすることはないと思う。
二日間かけてあの日ぶつけた感情を一緒に紐解き整理し、負の感情を受け止めてもらった上で捨てることにした。中身の少なくなった心はクローゼットと同じかもしれない。丁寧にたたみながら取捨選択をしていくことで当面は感情の波にのまれることはないだろう。
それでも、のまれる日がきっとくる。
その時は時間をかけて紐解いていくしかないのかもしれない。