防災における行政と住民の価値観
過日、地元紙のコラムに以下の記事が掲載されました。
ひじょうに難しいテーマだと思いましたが、土木に関わる人間として考えを述べたいと思います。
1 完璧な防災はない
残念ではありますが、これは一番認識しておきたいことです。
どんな大雨でも洪水を発生させない「ダム」や、巨大津波を100%跳ね返す「防潮堤」はあり得ません。
仮にそれに近いものを建設しようとしても、民意や予算によって現実化は極めて難しいです。
この点に関しては以下の記事も参考にしてください。
2 天災は突然やってくる
わが国は地震大国です。
また、地球温暖化を起因とするゲリラ、スポット的豪雨に度々見舞われます。
これらはなんの予告もなしに突然やってきます。
「防災」とはそれにどのように対応すべきなのでしょうか。
それは、「過去の教訓」から「未来を予測」し対応することではないでしょうか。
東日本大震災で巨大津波が発生し甚大な被害を受けましたが、今後も同じ津波が起こると想定して防潮堤整備をするということは、とても理にかなっていると思います。
充分な議論をして進めるのは教科書的で良いとは思います。しかし、それに何年もかけている間に同規模の津波が発生しないと誰も絶対に言えません。
仮にそうなったとき、「行政にはスピード感がない」と主張するのが民意です。
3 相反することには妥協点が必要
「景観」や「生態系」を軽視はできませんが、現状それらは「津波被害の軽減」ということと両立ができないのですから、ここをどう考えるかが大切です。
例えば、「一関遊水地」は、ダム建設だけでの河川氾濫を抑えるのが難しい現状を踏まえて整備されています。当然そのエリアを宅地にはできませんが、人々が知恵を絞った治水方法です。
4 私からの提案
行政と住民が対立するのは「防災」を進める上であってはなりません。どちらも主導でお互い同じ方向を向いていかなければなりません。
そこで以下の提案をします。
(1)インフラがどれだけ防災に貢献したかを住民に伝える
豪雨の後などに、「上流にダムがあることでこのエリアの浸水を防ぎました。」という情報を地図上に示して地域住民が見ることができるようにしてはどうでしょうか?
「もしダムがなかったら我が家は浸水していた」と気づいてもらうのはとても重要です。
(2)現状のインフラの防災的限界点を住民に伝える
「現状の防潮堤は高さ何メートルの津波まで耐えられます。これを超えた場合には越流して津波被害が発生します。その時にはこのエリアは浸水します」ということを全戸にお知らせをすることです。ハザードマップ等で既に実施されていますが、より具体性を深めて全戸に知らせ、日常から意識してもらうことです。
(3)防災インフラの必要性を学校教育に取り入れる
防災教育の中で、「インフラ整備の重要性」をもっと伝えるべきだと思います。
「ダム」や「防潮堤」が悪者になる場面が見受けられます。
しかし、人間がどれだけそれらに助けられ、安全に生活できているのかと考える人は少ないと思います。
また、「景観」や「生態系」を主張するとき、コンクリート材料にかわる案もなく、ただ悪者にされたまま時が流れることが一番の風化だと考えます。
最後に、失われて良い命などひとつもありません。
しかし、東日本大震災級の地震が発生したとき、一人も命を落とさない防災は現実不可能です。
みんなで知恵を出し合って自然と向き合っていきたいものです。