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選択と責任
初めて完全に自分の意志で物事の選択をした。
今までは、ご縁に導かれるがままに、やってみないとわからない精神全開で何事もYESと言い続けてきた。
そういう意味での選択はしてきたし、意思表明はしてきた。
ただ、ご縁に身を任せるがあまり、本当に自分が向き合いたいことを蔑ろにしていた側面がある。
本当にそれでいいのか。
大学生活残り1年。本当にこのままの自分でいていいのか。
大学入学以来2回目の自分改革が始まった予感がする。
ご縁もしっかり大事にする。
ただ、闇雲にご縁を受け入れ続けるのではなく、必要に応じてしっかりとタイミングを見極めて選択をすることが非常に欠けていたこの4年間。
社会人になる前に、そんな自分を変えてやりたい、そう思った。
この1月にも次の2025年度につながるご縁をいただいていた。
でも、それをすぐ素直にテイクすることにある種の躊躇いを感じていた。
それが自分改革開始の合図だったと思う。
しかし、だからといってそのご縁をすぐ断る気持ちにもなり切れなった。
昨年からしっかり関わるようになって、すごく学ぶことも多いし自分自身成長できる土壌であるとも感じていたから。
そして、何よりもこの人と一緒に仕事をさせてもらう機会をもらえるのはご縁かもしれない、とも思った内容だった。
でも、それよりも、今まで単発的なかかわりしかできていなかった
小学生年代の子どもたちの主体的創造的な学び(暮らしを通した学び場:野外教育・地域に開かれた学び場)
に深くかかわる機会をこのタイミングで作らなかったら、自分はどのタイミングで足を深く踏み入れるのか、まったく想像をつけることができなかった。
多分、最終的にあの時にあのご縁をテイクしたから出来なかったんだな、しょうがないよね、と関心ごとと向き合うことを引き続き怠りかねないとも思った。
それでもご縁を断るだなんて、今までの自分のポリシーに反する、すごくそう思ったし、申し訳なかったし、やるせなかったし、出来ることなら両立させたいとも思った。
でも、両立できていない結果浅瀬にずっと立ち尽くすかの如く、表面上の面白さや大切さを流して受け取っているままの自分になりかねないという危機感を覚えた。
多分ここで腹をくくらないと、いつまでたってもご縁のせいにしてしまいそうな自分もいるし、connecting the dotsを良いように使いかねないとも思った。
だから私は、2025年こそは、
①小学生年代の子どもたちの主体的創造的な学び(暮らしを通した学び場:野外教育・地域に開かれた学び場)
②STORY事業(循環的な消費の在り方・暮らしを通した学び場)
③大学(アカデミック領域:地域で学び合い育ちあう場づくり・市民教育・対話と教育ファシリテーション)
の三本に軸を置いて、その接続をしっかりと意識しながら密度ある時間の使い方をしていこうと思う。
そして、今までおざなりにしてしまっていた①の領域の深入りを本格的に始めていく決意をしたうえで、自分がとった選択に責任をもってこの1年を使い切ろう。
多分というか、確実に今までの自分とは異なる時間の使い方になると思う。
もうこれ以上浅いままの薄い人間ではいたくない、深く根を張る大人としての自分を模索してみよう。