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おじいちゃんのお葬式で、おじいちゃんに会った話。

※怖くない心霊体験につき、苦手な方は注意!



祖父にとても可愛がられ、すごくおじいちゃん子だった。
父方の家系は父を含め男兄弟ばかりで、生まれた従兄弟もみんな男。
唯一の女の子だった私が生まれて大喜びだったらしい。


毎年夏休みに田舎に遊びに行き、海や川、いろんなところに連れて行ってもらった。
私が中学で吹奏楽部に入ると、夏休みは練習三昧になるため田舎には行かなくなってしまったが、体育祭にサプライズで駆けつけてくれたりもした。
叔父には、息子の体育祭にだって来てくれたことないのに!と嫌味を言われるほどだった。



そんな祖父も痴呆から寝たきりになり、ある時突然亡くなった。
寝たきりとは聞いていたが、あまりにもあっという間で、呆然としつつ新幹線に乗ったのを覚えている。
もう十三回忌もとっくに終わったので、だいぶ遠い昔に感じる。



祖父の家でお通夜をし、親戚が多く家には泊まれないということで、近くの旅館に家族で泊まった。
次の日の朝、顔を洗って鏡を見たらいたのである。
私の右横に満面の笑みのおじいちゃんが。



驚いて後ろを振り返っても何もいない。
でも鏡にははっきりと笑顔のおじいちゃんがいる。
びっくりして交互に見比べているうちに、すぅっとおじいちゃんは消えた。多分時間にしたら1〜2分だったのだろう。



パニックになりつつ今おじいちゃんがいた!!と家族に告げると、おじいちゃん貴方のこと可愛がってたからねぇ、としんみりして終わった。
だが、それで終わらなかったのだ。



それ以降、おじいちゃんの話をしたりする度に、右肩がじんわり暖かくなるようになった。
守護霊になってくれたのかね?なんて話をして、私はとても嬉しかった。
お葬式も不思議と悲しくなかったし涙も出なかった。
だっておじいちゃんは私の後ろにいるのだから。



変化があったのが四十九日の法要の時だ。
お寺に集まってお経をあげてもらうだけだったので、家族で日帰りで田舎に行った。
お経をあげてもらう間に、なんだか右肩の気配が薄くなっていくのだ。



あれ、もしかしてこれおじいちゃん行ってしまうのか?と気がついて、私は号泣した。



お葬式では泣く人も多いが、四十九日となるともはやお経をあげてしんみりするだけなのに、ただ1人私だけが号泣していた。
あの時はっきりと、あぁ、おじいちゃんはもう死んでしまったんだ、と自覚した気がする。


あれ以来、おじいちゃんの姿を見たりすることはなくなった。気配もしない。
怖い幽霊は嫌だけど、大好きなおじいちゃんの幽霊ならまた会いたいのになぁ、と思い出してしんみりするのだ。

#私だけかもしれないレア体験

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