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ハウス・オブ・シセイドウの想い出

資生堂パーラーのチーズケーキをいただいた。

この「パーラー」という呼称の持つ
何とも言えない懐古感、いや昭和感と言ったらない。

資生堂が1902年(明治35年)に銀座に
アメリカナイズされたカフェを開いたときには
「資生堂ソーダファウンテン」だったそうだ。

なんだか、今の感覚だとこっちのほうがしっくりくる。

それが1928年(昭和3年)に「資生堂パーラー」の名で
洋食レストランとして生まれ変わった。


ハウス・オブ・シセイドウとバルビエ


資生堂パーラーは、モボ・モガや芸者衆、歌舞伎役者、作家など
多くの文化人を顧客に持っていた。当世一流の粋な人々が集う場所だった。

そう、資生堂パーラーがオープンした頃は、モボやモガの時代。
世界はアール・デコ大全盛の時代だったのだ。

お恥ずかしながら、資生堂パーラーには入ったことはないのだけど
ハウス・オブ・シセイドウで展示を観たことがある。

アール・デコの代表的画家・ジョルジュ・バルビエの絵は
そんな資生堂パーラーにピッタリな展示だった。

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バルビエは20世紀を代表する画家のひとりであり
前述の通りアール・デコを代表するイラストレーターでもある。

バルビエはファッションの造詣が深かったそうで
このイラストも、ドレスが本当に素敵。
イラストで描かれたファッション雑誌のような展示だった。

アール・デコは、アール・ヌーヴォーの次の美術様式。
植物の曲線美が特徴のアール・ヌーヴォーに対して
無駄を排したモダンなデザインであることが特徴。

アール・ヌーヴォーの代表的な画家であるミュシャに比べて
バルビエの知名度は日本ではとても低いのがとっても不思議。

ハウスオブシセイドウは、当時並木通りにあった資生堂本社ビルの
1・2階で運営されていた。
惜しまれつつ、2011年3月の本社ビル移転の際に閉館。

残念!って、10年近く閉館してたことも知らなかったくせにね。

資生堂パーラーのチーズケーキ


そんなわけで、いただいたチーズケーキ。
濃厚でおいしい!
これぞ、ザギンの味。

ごちそうさまでした。

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(2020年2月28日大幅改稿。タイトル「パーラーとテーラー」より変更)



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