すべてを手放したからこそ、つかめた人生
フリーライター&イラストレーターの陽菜ひよ子です。
今日はちょっと個人的なお話を。
我が家は夫婦でnoteにかなりとっぷり浸かっています。
オットの宮田はカメラマンなのですが、なかなかの長文とともに約800日連続投稿を続けています。800日って何年?え、2年以上???マジか!
今日はこの記事に彼が書いている、この一文からヒントをもらいました。
これを読んで、確かに宮田はカードを全とっかえしましたが、わたしも同様に、全とっかえした経験がありました。
もしかしたら、わたしたち夫婦に何か「強み」があるとしたら、そこにあるのではないか、と感じています。
震災と病を機に人生をリセット
宮田をドロップアウトさせたのは、何を隠そうこのわたし。
結婚した当時、彼は会社員(SE)で、わたしはフリーのイラストレーターでした。
でもね、わたしは気づいてしまったのです。
ひと月休みがないことも珍しくない、死ぬほど激務なSEのわずかな休日、わずかな隙間時間に、彼がコツコツと写真を撮り続けていたことに。そのとんでもない熱意に。
彼に写真をやらせてあげたい、でもそうしたら生活はどうなるのか?そんなモヤモヤを抱えて生きていました。
その後、雪崩のように、さまざまなことが起こりました。すべてがトリガーだったように感じられます。
2011年初頭、宮田は持病のアトピー性皮膚炎が悪化し、寝込むようになります。
そこへ追い打ちをかけるように、3月に東日本大震災が起こりました。都内東部のわたしたちの住むあたりもかなり揺れ(震度5強)、社会はいいようのない不安に襲われたのです。
悩んだ末にわたしたちは、2011年8月、東京でのすべてを捨てて、わたしの実家のある名古屋への転居を決めました。
アトピーと闘いながら、2年専門学校に通った宮田は、学校の先生のサポートもあり、現在ではいっぱしのカメラマンとして活躍しています。
(ここまでの経緯は拙著(コミックエッセイ)にくわしいです)
出版と離婚を機に人生をリセット
一方のわたしはといえば、2005年まで、かなり時をさかのぼります。
当時のわたしは趣味で絵を習い、ブログで漫画を描いて満足している主婦でした。振り返ってみると、2005年春にライター講座に通ったことが、すべてのきっかけです。
講座では、多くの出版を夢見る人たちと出会いました。さまざまな背景や野望と持つ仲間たちと話すうちに、わたしの中に野心が生まれていきます。
単純に文章が上手になりたくて通っただけの、普通な主婦の自分。でももしかしたら、こんな自分でも本が出せるかもしれない・・・。
このとき知り合った編集さんからイラストの仕事をいただき、同時に著者デビューが決まりました。
もっと本格的に仕事がしたい!と当然思いますよね。
でも、当時の夫は、妻に目立つ仕事をすることを許さない人。今のままでは何もできない、と感じたわたしは、離婚を決意。
もちろん、迷いました。安定した生活を捨てる恐怖はありました。それでも一度きりの人生、思いっきりやってみたい気持ちの方が強かったのです。
2007年初頭、離婚届を提出。住んでいた場所こそ千葉と東京でそんなに距離はありませんが、人間関係はすべてリセットされました。現在も、以前結婚していた頃の知人との付き合いはほとんどありません。
不安の中でスタートした東京でのひとり暮らし。たくさんの人に助けられて、どうにかなりました。
離婚して約半年後の2006年5月に、最初に仕事で描いた「著作」が発売。
2年後の2007年には今のオットと出会い翌2008年結婚、新しい生活が始まったのです。
手放したからこそ、出会えるものがある
宮田の投稿を読んで「わたしたちって2人とも、一度は全とっかえして、もっといいものを手に入れた人生なんだね」というと、彼はこう答えました。
「手が空くからこそ、つかめるものがあるんだね」
ああホント、その通り。
彼が会社を辞めずにいたら、今もSEをしていたでしょうか。そうかもしれないし、アトピーがさらに悪化して、働けなくなっていたかもしれません。
わたしが離婚する決意を持てなかったら、今も絵や文章を趣味として続けていたでしょうか。いや一度知った蜜の味を忘れられず、悶々と暮らしていたのではないでしょうか。
なにより、宮田と出会うことはなく、彼をドロップアウトさせることもなかったのですね。
すべて、あの時「手放したからこそ出会えた」んだな、としみじみ感じるのです。
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