自分の思考の灰色に気づく
82年生まれ、キム・ジヨン 本屋の平積みで手に取ったときは
飛ばし飛ばし少しめくって、なんだかよくわからない気がして
なんとなく丁寧に元に戻した。
読み終えた今、表紙のやけに首の青白い女性が
真っ直ぐ見つめてくるような気がしてどきっとする。
・・・
知っていたような、潜在的に感じ続けているような、
受け入れる心の準備をしているようなことを
ひりつく空気感の中で言語化されてしまった。
どこか知らないふりをしたまま馬鹿なふりをして生きていくほうが、
精神衛生を保って生きていくことができたのかもしれないとさえ。
悲観しているわけではなく、強さの形の話。
人は強くて、美しくて、賢く、自分を守る術を知っている。
それでもなぜか道化が必要で、広義での「逃げ場」を持つ。
その使い方もみんな器用で、ただ時としてそこに無意識な
暴力を、暴言を浴びせてしまう事故が起きる。
誠実に、落ち着いて出口を探しているのに
出口は最初からなかったというのだから。
それで唖然と座り込んで仕舞えば、もっと努力せよ、
だめなら壁を突き破れと言われる。
名前を失った男性はどこにいくのか。
小さな絶望を刷り込まれてもなお、
進むことを 静かに残酷に強いられる女性たちの勇敢さ。
その危うさや
素直に感想が出てこない自分の中の灰色の思考の存在を知り、
それでも思考を進めなければいけないと思わせられるような
深い圧力のある本だった。
どう捉えるか?
韓国で一番当時多かったというキム・ジヨンという名前は、
心当たりのあった私たちの総称なのかもしれない。
本文の終わりの最後の一文、
フェミニズムという議論の深さを悟って
鳥肌が立った。