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「やる気」ってどこから来るの?そもそも「やる気」ってなあに?の話
こんにちは。おひさまの光が大好きなひなたです。
今回は、「やる気」について書いてみようと思います。
やる気ってそもそもなあに?
やる気。
これが認められると、人はヒーローになれます。
逆に、これが認められないと
「アイツ、やる気ないよなー」
「やる気ないんなら帰れ!」
「うちの子、まったくやる気がなくて」
「お子さんは才能あるんですけどね。やる気の問題ですかね」
と一掃されて、やる気がない=根性がない=ダメ人間
という浮上できないレッテルを貼られてしまいます。
改めて考えると、子供のころから「やる気」ってめちゃくちゃ求められてきませんでしたか?
教育目標は「やる気がある子」とか
(やるって何を?そもそも漠っとしすぎてないか・・と思う)
「やる気見せろ」とか
(まるでヤクザ)
「全てはやる気があるか、ないかだ」とか
でも、よく考えると「やる気」って強制されて出るものじゃないですよね?
というか、強制されても絶対出ないですよね。
「やる気」は「やり遂げる根性」じゃない
誰かの「やる気がない」と批判するとき、
それは、「やる気がない=やり遂げる根性がない」と勘違いすることから生まれてくる気がします。
「やる気って、やりたい気持ち」です。
だから、私は、「やる気がない=やりたい気持ちがない」だと思うんです。
では、どうしてやりたくないのか。
私が長年の職場の人間ウォッチングと子育てを通じて感じることは2つ。
「やりたくない=やる意味、価値がわからない」
または
何かをやりたい気持ちが湧かないほど「心身が疲れている」からです。
よく、うつの方に「頑張って」は禁句だと言われるのはこういうことです。
ここに、親子、上司部下、先輩後輩、先生と生徒なんていう
絶対逆らえない優越関係がある時には、「やる気がない=人間失格」
のようなレッテルが貼られるという悲劇が起こってしまいます。
すると、レッテルを貼られた本人は、
「どうしてそれが必要なのか納得できない」ため口を閉ざすか、
「何もしたくないほど疲れている」のにのにやらなければいけない罪悪感に駆られたりして、ますます「やる気」からは遠ざかっていってしまいます。
それでもやる気を出して欲しいとき
思えば昔の私も「やる気出しなさい!」って無茶ぶりしていました。
(だって「やる気=根性」の時代に生きてきたんです。の言い訳)
でも、どうしても仕事で部下にやる気をもってほしい、と思ったら
「その仕事をやる意味・価値」をこちらが伝える能力を持たないと難しい。
親子なら
「それっていいね」と思ってもらえる説明ができるか、です。
(そもそも自分もいいと思ってない時や、根拠が示せないことって沢山ありますよね)
そして、どんなに頑張って説明しても、相手が「うん」と言わないときは
潔く諦めるのがいいです。
だって、人の価値観はそれぞれですから。
「やりたい」という気持ちは、そもそも自然にしか湧いてこないもの。
「そもそも、やる気がないなんて許されるのか!?」
と思ってしまう時、
「許されない、ずるい(本当は自分もやりたくない)」
ツラいのに頑張っている自分を労わって、
思い切って自分も辞めてみると、違う世界が見えてくるかもしれません。
職場で「アイツ、やる気ねーな!!」と叫んでいる人をみかけると
頑張っているんだね、と思うこの頃です。