教育って、、自治って、、なんだ?
私が通っていた小学校は、校則が厳しく、教育自体も堅いものであった。
高学年のことだ。
クラスの時間、というものがあり、学級委員が、今日みんなで話し合いたいことは?と、話題をふる。
例えば、チャック式の筆箱がはやっているが、使えるものを買い換えるのはもったいないから、筆箱は箱型の赤か黒にしましょう。
など。
そうすると、先生が、じゃあどうしたらよくなるか考えましょう、と、話し合いの場をもうける。子どもたちに、自治させるためだ。
ふしぎなことに、子どもたちは、必ずルールをつくる方向にもっていくのだった。そのため、校則をこえたクラスルールが存在するのであった。
『筆箱は、赤と黒だけにしましょう。多数決取ります。』
そんなルールに賛成をしたらじぶんの首を締めることになるのに、なぜか賛成多数となるのだ。
ある時は、授業中に静かにするにはだうしたらいいでしょう、と、出た。
不毛な話し合いに私はいらいらしてこう言った。
自分がやめようと思わない限り、無理だと思います。
あっけにとられた先生と、賛同者に、この考えは採用され、黒板のすみに、自覚を促すための張り紙が貼られることになった。
人って、自分の内側に動機がなければ動かない。
このころから、ぼんやり考えていたのだった。
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