「自分らしく」なんて気にならないくらい、自分の中の競争心を最高に解放せよ!
私は最近、週刊少年ジャンプの主人公のように、ずいぶんと威勢のいい人間になってしまった(!)
私はスノーボーダー。「誰よりもうまくなってやる」「絶対大会で勝ってやる」。そんな情熱(衝動)を腹の底に宿しながら、このオフシーズンを生きている。
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勝敗や結果にこだわらず、「楽しむこと」が上達の近道だとか言われることがあるけど、私はそうは思わない。
スポーツをやっていると楽しくない時間の方が圧倒的に多い。楽しむためにはある程度のスキルが必要である。上達し、一定の成果を感じられるまでは苦しいしつまらない。多くの人がそこに至るまでに辛抱たまらずやめてしまう。人間というものは、すぐに報酬の得られない行動は続かない仕様になっている。
だから、楽しくない時間を乗り越えるためには、自分を強く駆り立てる強烈な動機がどうしても必要になる。私にとってはそれが「他の誰よりもうまくなってやる」「大会で勝ってやる」という競争心だった。
なんか週間少年ジャンプみたいなコンセプトだが、これは私の内面の奥深くから湧き出る、根本的・原始的な「欲」みたいなもの。この欲の存在を自分の中に認めてから私は少し変わった。この欲を満たすために行動することが、自分本来のエネルギーの出し方であると気付いたのである。
少し前までの私は、周りに気後れして萎縮していて。少しうまくいかないと「どうせ自分には無理」とすぐに諦めてしまうような、自信のないとても繊細な私だった。
自分は「どうせこんなもんだから」と早々に自分の限界ラインを決め、「周りと比べず自分のペースで」と自分で自分を傷つけてないようにと神経質に扱っていた。周りと競争なんてしたらすぐ負けて自尊心が傷つくのではないかとおそれていたから、本当は私の中に熱くたぎっていた競争心が表に出てこないように最新の注意を払っていたくらいである。
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競争教育の反省から、今の時代的に、勝敗や結果にこだわることはあまりよくないこととされているようだ。競争からは早々に離脱し、人と比べず「自分らしく」生きる道を模索しようとする向きがある。
「自分らしく」とか「周りを気にせず自分のペースで」も私には必要だった。でも、それだとそれ以上高く飛べない。「自分らしさ」を意識するということはつまり、「自分ってこういう感じ」っていうのを自分で規定するってこと。
しかし、人間は自分で自分を「こういうものだ」と決めた以上にはなれないと思うのだ。結果を左右するものがあるとすれば、それは自分で自分がどこまでいけると信じているかだけの違いで、才能とかセンスとかは多分あんまり関係ない(と思う)。
「自分にはできる」と信じ続けることほど難しいことはないけど、できると思わないと本当にできないし、やり続けなければできるようにはならない。
そして、自分でもどこまでいけるか予測がつかないくらい高く飛びたいと思えば、他者と競い合い、他者に自分を引き上げてもらう必要がある。
世界は私の敵ではなく、私に気づきや成長をもたらす協力者。競争心や勝ちへの執着は、本質的に誰かを傷つけないし、誰かの価値を決めるものでもない。それが根底にあれば、きっと大丈夫である。
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誰よりもうまくなりたい。大会で勝ちたい。見ている人を魅了したい。その先に何があるか見たい。
うまくなるためなら、私はその過程が楽しくなくたって別にいい。
「自分らしく」とか「人と比べず」とか、そんなことを考える暇がないくらい、うまくいくまでとことんやり続けて。
うまくいかない時、「自分にはどうせ無理」と早々に諦めていじける暇があったら、そんな気持ちを振り払って、「続けていればできるようになる」と自分に何度も言い聞かせて。
そして、できないことばかりに目を向けず、うまくいった瞬間にもちゃんと目を向けて。忘れないで、ちゃんと記憶にとどめておいて。
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これまで弱気で、繊細で、自信がなくて、でもうまくなりたくて意地でもスノーボードを続けてきた私。ここまで消え入りそうになりながらも頑張ってくれてありがとう。
これからは、週間少年ジャンプの主人公かってくらい、誰にも負けたくなくて、自分にはできると信じている、この強気な私がそのバトンをつなぐから。
必ず目標を達成するから、あとはこの強気な私に任せておいてほしい。
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