僕の持病について。アトピー編。

僕は割と恵まれた家庭環境に生まれた。

父は教員で母は専業主婦だった。

祖母も同居していたので育児には余裕があったはずだ。

しかし母は妊娠中に卵を沢山食べた。

その結果僕は生後間もなくアトピーを発症した。

いつも顔を引っ掻いていたので肌が赤く眉毛が薄かったらしい。

僕は午前中お風呂に入ってから保育園に通っていた。

お風呂で60秒数えていたので小学校に上がる前に時計の読み方はマスターしていた。

僕には3つ下の妹がいるがあまり世話をした記憶がない。

いつも痒みに悩まされていたし誰かの心配をする余裕なんて僕には与えられていなかった。

食事の最中も体を掻いていた。

食事をすると体温が上がるので痒くなる。

生命を維持するための食事でさえ痒みのリスクがあるなんて訳がわからない。

汗をかくと痒くなるし暑いのも乾燥も痒みのもとだ。

だからスポーツは殆ど出来ない。

夏も冬も嫌いだ。

春も花粉で痒くなる。

四季の中で過ごしやすいのは秋と梅雨くらいだ。

保育園の頃お昼寝の時間があった。

みんなスヤスヤ寝ていた。

給食を食べてお布団に入ると痒くなるので、
保育園の先生にさすってもらっていた。

先生はお便り帳を書く時間を使って僕に構ってくれた。

年中組まではそんなお昼寝の時間が続いた。

ある時、一年先輩の子ども達が「かゆいかゆい」と言って僕の真似をしていた。
小学生になったとき彼らは相変わらず他の人をからかっていたので、いじめっこは歳を重ねてもいじめっこのままなんだなと思った。

年長になるとお昼寝の時間がひらがなの勉強時間になった。

ひらがなの勉強は楽しかった。

というか僕の母は教育ママだったので家の本で目にしたことのある文字ばかりだった。

知らないのは「を」や濁音、半濁音くらいだった。

勉強している間は痒みを忘れられた。

小さい頃親に連れられて皮膚科に行ったときステロイドを沢山出されたらしい。

その後、連れられて行った温泉治療の施設ではステロイドは体に良くないと言われたそうだ。

今のようにネットも普及しておらず、セカンド・オピニオンという考え方も知られていない時代のことだ。

初めに医者の言うことを信じたが子どものアトピーは治らない。

親は困惑しただろう。

次に頼ったのが薬を使わない温泉治療だ。

家の浴室にお湯を循環させる機械を設置させ温泉水を取り寄せた。

かなりのお金がかかったらしい。

しめて300万円。

僕がこの話を聞かされたのが小学校の高学年である。

これ以上お金の心配をかけたくないので

中学と高校は公立に進むことにした。

ある時祖母が美容院でアロエの軟膏を買ってきた。

引っ掻き傷に塗ると肌が早く治るので対症療法として長く愛用することになる。

今日はここまで。






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