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愛されていると感じる時
保育園や施設に通う子どもたちの多くは愛されたいと各々いろんな表現をしていました。
16歳の子、0歳の子も同じように何か大人に求めていました。なかなか満たされない子も多く、どうしたら愛されてると感じるのだろうといつも考えました。
もちろん、その対象が親で自分が代わりにならない時もありましたが。
愛することが愛を感じさせること。ということにはなりません。愛することと愛されていると感じることは主語が異なり、相手がキャッチできる状態であり、受け止められる量も決まっています。
また、目に見えないものをいかにして感じるかというのも互いの壁となっています。
その壁を打ち破ると相手は壊れます。きちんと入り口を探さなければならないです。そのために相手を知り、声がけやノックをします。声がけやノックの強さと頻度も配慮しないとセールス勧誘と思われてしまいます。
小さいうちは抱っこやさすってもらうなどの直接的な感触から愛情を感じます。年を重ねると、見えないものへの概念を持ち、気持ちを感じるということに広がりが出てきます。
みなさんはどんな時に愛を感じるでしょうか?
気持ちを察してもらった時
共感した時
そばにいてくれた時
助けてもらった時…
人それぞれ感じる場面があると思います。
最近私が思ったのは
自分が思う 自分のイメージと
相手が思う 自分のイメージが合致していた時
も愛を感じるなと思いました。
子どもの実年齢に合わせて関わるよりも
子どもの心や身体の発達に合わせた関わりを
することで、子どもに過度の期待をせずに
現状を受け入れるということになるのでは
ないかと思ったのです。
近年は毒親というワードが多く見られ、ドラマでもよく主人公の家庭環境が影響しているような描写が出てきたりします。
愛されたいと願う人でどこも順番待ち
斉藤和義さんの「月光」という歌の歌詞です。
コミュニティが大きく変わった今、どうしたら子どもたちや孤立家庭の人たちが愛を感じて暮らせるのかを
考えなきゃいけないのではないかと思います。
今までは子どもに対して考えていたのですが、養育者も愛されていると感じられている生活を送っていないとなかなか子どもにまで与えられるものではないのではないかと思いました。
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