夜道を歩く。
田舎では考えられないような、夕方とは言わないまでも、「もう寝る時間だよ!」なんて怒られる時間とは考えられない。
果たして「もう寝る時間」とは一体全体何時なのだろうか。
個人差はあるが、勝手な雰囲気統計をとると大体10時であろう。そこからは大人の世界だ。決して生半可な気持ちでは立ち入ってはいけない、けれども潜り込んでいく大人たちには余裕や大人たる精神が垣間見える。それに憧れて僕たちは大人になりたがるのだ。
訳の分からないことを考えながら歩く下高井戸の夜道は、只今11時。
フラフラと頼りないおじさん同士が顔中の頬を赤く染めて、笑っている。
それをなんともなく横目で見ながら、自分のお客を捕まえることをゆったいりとふんわりと待つ着飾った女性たち。
ピークを過ぎたのだろうか、少し疲れ気味でゴミを出す牛丼屋の青年。
今日も平和だ。僕は夜道を歩く。
平和に敬意を表しつつも、やはり心のどこかでとびっきりの何かを期待してしまう。死ぬ直前のインタビューで「あの時が人生の分岐点だった」なんて言ってしまいたくなるとびっきりの出来事。
映画や小説の世界だったら起こるに決まっている。
そして、誰かが言ったか「事実は小説より奇なり」。
ということは、そういうことだ。とびっきりが起こるはずなのだ。
僕は夜道を歩く。万全の心積もりをしながら。
風が涼しい。秋が近づいているのだ。
今年の夏は何をしただろう?何か夏らしいことができただろうか?
なんてことを思うけども、それは毎年のことだと気付く。毎年、夏らしいことなんてできた試しがない。
そうして無情にも秋はやってくる。
そうして秋を満喫しようとして、冬が来るのだ。
いつの間にか、ポツリポツリとした街灯しか、明かりがなくなってしまった。思ったよりも歩いていたみたいだ。
未だにとびっきりのことなんて起きない。
起きないまま、何も起きなそうなところまで来てしまった。
戻ろうか。
帰り道というのは誰かと一緒だとなんてことはないが、一人だとひどくつまらないものに感じてしまう。
同じ景色、何も感動がないということが嫌なのだろう。
全く贅沢な。
そうして全く別な帰り道を探し、迷子になって帰ることが多々あった。
しかし、やはり今日も同じ道をたどらないことを決める。
行きを極めれば、帰りも行きなのだ。
少し横を膨らませた形で、駅へと歩いていく。
迷ったら地図を見よう。今日はどのくらい時間がかかってしまうだろうか。風が涼しいのが味方する。
僕は夜道を歩く。
なぜ下高井戸を歩こうと思ったのだろう。
……なかなか思い出せず、いっそのこと最初から思い出そうと今日を振り返り始めながら、
僕は夜道を歩く。
おしまい